【リレー連載】アジア市場を攻略するローカルインサイトとナラティブ戦略 #07
味の素はどうやってフィリピン家庭からの信頼を掴んだのか【リレー連載Vol.07 フィリピン】
2026/10/01
多くの日本企業がまだ語っていないストーリー
企業への信頼を左右する強力な要素のひとつが、「雇用主としての評判」である。フィリピン人は企業を、非常に実際的な基準で評価する。
安定した雇用を提供しているか?
適切な給与を、期日どおりに支払っているか?
従業員を公平に扱っているか?
本当に必要なときに思いやりを示しているか?
この点において、日本企業にはすでに語るべき強いストーリーがある。フィリピン国内の経済特区だけを見ても、日本企業は数十万人のフィリピン人を雇用している。安定した公平な雇用主として評価され、その存在が何世代にもわたって家族や地域社会を支えてきた企業も多い。
しかし、ほとんどの企業が、そのことを積極的に発信していない。企業コミュニケーションでは、サステナビリティレポートやCSRキャンペーンに重点が置かれがちである。もちろん、それらにも価値はある。しかし企業の雇用実績は、それ以上に強力な「信頼資産」になり得る。なぜなら、それは人々にとって身近で、具体的で、すでに実績によって証明されているから。しかも、その裏付けのために投資する必要もない。
工場や施設を開設したときには、投資額だけではなく、そこで生まれた雇用について語るべきだ。企業のストーリーの中に、従業員を登場させる。そして、その企業が長期にわたってフィリピンに存在することが、フィリピン人の暮らしにとって実際に何を意味しているのかを見せるべきなのだ。
私たちの調査では一貫して、フィリピン人は遠く離れた国家レベルの機関よりも、自分たちの身近にある組織や機関を信頼する傾向が確認されている。たとえば、数ブロック程度の地域を管轄するフィリピン最小の地方行政単位「バランガイ」への信頼は、マニラにある中央政府機関への信頼を大きく上回る。
企業についても同様だ。フィリピン人が最も信頼するのは、身近な場所にあり、日常的に接点を持つ企業である。ここから導かれる実務上の結論はシンプルだ。
マニラ首都圏から全国向けキャンペーンを展開するだけでは、セブ、ダバオ、イロイロで信頼を築くことはできない。必要なのは、身近に感じられる「存在感」だ。
Ajinomoto Philippinesはフィリピン家庭からの信頼をどう築いたか
フィリピン人のナトリウム摂取量は、世界保健機関(WHO)の推奨量の2倍以上に達している。
しかし、家庭に対して単純に「塩を減らしてください」と呼びかけることは、「おいしくない料理を食べてください」と言うのと同じように受け取られかねない。
そこで同社が展開したのが、「BawAsin」という取り組みである。これは、フィリピン語の bawasan ang asin、つまり「塩を減らす」という言葉から生まれた名称だ。
過剰なナトリウム摂取という課題を、フィリピンの家庭にすぐ理解できる言葉で伝えながら、フィリピンの料理をする人々が実際に重視する価値を中心に据えた。「塩は減らしても、おいしさは変えない」という考え方である。
Ajinomoto Philippinesは、日本で生まれた健康に関するメッセージを、単にフィリピン語へ翻訳したのではない。フィリピンの課題を起点にし、フィリピンの家庭のキッチンで解決策を提示し、さらに現地生産によってその主張を裏付けたのである。
自社商品を売り込むのではなく、塩分量に配慮した美味しい料理をつくることを提案し、手軽に実践できる減塩レシピや実用的な調理方法を提供する。
これこそが、「知られている」「良い企業である」「一貫している」という3つの条件を、実際の活動として示すということだ。
スピードは「信頼」のシグナル
フィリピンは、世界でも特にソーシャルメディアの利用が活発な市場のひとつである。フィリピン人がソーシャルメディアに費やす時間は、1日約3時間半にのぼる。
これは、企業の評判が動くスピードそのものを変えている。金曜日に発生した問題が、東京本社で最初の承認プロセスを終えるよりも前に、SNS上で議論され、シェアされ、ミームになっていることもある。
フィリピンでは、企業の「沈黙」は慎重な姿勢とは受け取られない。「逃げている」と解釈され、場合によっては非を認めたものと受け止められる。
解決策は、単に承認プロセスを速くすることではない。必要なのは、フィリピンの現地チームが「何を発信してよいのか」「いつ対応してよいのか」「本社の判断を待たずにどこまで行動してよいのか」を、あらかじめ決めておくことである。
毎年のように発生する台風や地震の際、社会からの好意や信頼を獲得するのは、数時間以内に現地の言葉で、実際に役立つ支援を提供する企業である。
この市場では、沈黙は容易に「回避」と受け取られる。したがって、「一貫性」には、迅速に応答する姿勢も含まれる。
2026年、日本企業に開かれている機会
2026年は、フィリピンと日本の外交関係樹立70周年にあたる。フィリピンには、日本に対する深い好意がある。日本企業は、他国の多くのブランドが羨むような優位性を持ってフィリピン市場に参入することができる。品質への評価、信頼性、そして長期的なコミットメントへの信頼である。
しかし、日本という国に対する好意が、すべての日本企業に自動的に引き継がれるわけではない。信頼は、一社一社が自ら獲得しなければならない。
誰を雇用しているのか。
どの地域に根を張っているのか。
問題が起きたときに、どのように行動するのか。
そして、「知られている」「良い企業である」「一貫している」ことを、時間をかけて社会に見える形で示せているか――そうした積み重ねによって、信頼はつくられていく。
フィリピン人は企業に信頼を与えてくれる。しかし、その信頼は「慎重に」与えられる。そして日本企業は、多くの企業と比べても、その信頼を獲得するうえで非常に有利な立場にいるのである。
※本稿で引用したデータは、執筆者であるモリーナ氏が代表を務めるEONが、フィリピンの大学パートナーと共同で実施している、フィリピンにおける「信頼」に関する全国調査に基づいている。

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