社長の生活費のために、消費者金融でお金を借りる
田岡 どんなふうに生意気だったんですか。
佐藤 例えば、テレアポのノルマが1日100件だったので、1件あたり5分電話すると時間が全然足りないので、「100件なんて、普通に考えて無理ですよね」と反発していました。上司からは「文句を言う前に売ってこい」と言われて、よくケンカしていましたね(笑)。
でも、営業として、ものすごく売って結果を出したんです。そうすると、みんなが手のひらを返すように仲良くしてくれました。そこで2年間働いて、独立しました。
田岡 独立した理由は、何だったのですか。
佐藤 バリュークリックで一緒に働いていた人から一緒に広告会社をつくろうと誘われたんです。ただ、その会社の経営はめちゃくちゃで給料が半年以上出ないことも。社長の生活費のために、僕が消費者金融でお金を借りたぐらいです(笑)。
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田岡 それは、笑えない状況ですね。どれほど続いたのですか。
佐藤 2、3年くらいでしょうか。体調を崩してしたこともあって、自分で独立することにしました。ただ、お金がなかったので、友人から200万円ほど借りて、エスワンオー(現 オプトグループ ハートラス。社名は、サトウをもじってS・さ、10・トウからS1Oと付けた)という広告会社をつくったんです。
実は、その直前に大きな病気もして、入院中の起業でした。まさに金なし、物なし、人なし、健康なしという状態でした。さらに、そんな状況で子どもが生まれまして。
田岡 それはハードな状況ですね。
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佐藤 僕は一切本を読まないのですが、そのとき、たまたま読んだのが松下幸之助さんの『道をひらく』でした。その中で「病気で死んだら、それは神さまが決めるもので寿命みたいなものだ。でも死なないのならそれは試練だから、その病気を楽しめ」というようなことが書かれていて。
病気が分かったときは喪失感しかなかったのですが、その本をきっかけに「生き残れたら、がんばるしかない」と決意しました。