テレビ業界の改革に並走し続けた20年


徳力 TVerは立ち上げから10年。2025年1月の月間ユーザー数(MUB)は4120万ユニークブラウザを記録したほか、2024年度の広告売上は前年度比2.2倍、広告出稿企業数は前年度比1.8倍の2138社という、国内有数の動画配信プラットフォームに成長しました。

立役者である蜷川さんのご経歴と、TVerに関わるようになった経緯を教えていただけますか。

蜷川 1994年に新卒で日本経済新聞社に入社しました。翌1995年は、いわゆる「インターネット元年」と呼ばれる年で、同社でもインターネットに対応するチームが立ち上がりました。僕は大学在学中にインターネットの研究室にいたことからそこにジョインし、その後2001年から2年半はテレビ東京ブロードバンドに出向しました。ちょうど、「これから動画配信がくる!」と言われていた頃、ブロードバンド元年ですね。

その後、日経に戻って電子版のプロジェクトなどに携わりましたが、出向中に経験したエンターテインメントの仕事が楽しくて。「テレビ東京に戻りたい」と何度も言ったのですがダメで、思い切って2008年の冬に、日経を退職してテレビ東京に入社し直しました。

徳力 親会社を辞めて子会社に入社し直す。すごい話ですよね(笑)。
 
note noteプロデューサー/ブロガー
徳力 基彦 氏

蜷川 その頃に出会ったのが伊藤隆行さんや佐久間宣行さんです。伊藤さんは、なかなかインターネットビジネスが制作陣に受け入れてもらえない時代に、率直に向き合ってくれて、テレビのいろはを教えてもらいました。佐久間さんとは『ピラメキーノ』という子ども向け番組を一緒に企画したのですが、その時に彼から「こういうことをやるとネットでバズって、テレビのコンテンツがもっと見られるようになる」という、インターネット×テレビ極意をいろいろ学びました。

徳力 佐久間さんはその頃から、ネット上で話題になることが番組の価値に跳ね返ってくるということがわかった上でコンテンツづくりをしていたんですね。

蜷川 彼はそこがすごいですよね。『ゴッドタン ~The God Tongue 神の舌~』もそうですし。佐久間さんは「コンテンツのパワーは、視聴率だけでは測れないよね」という考えをもともと持っていた。彼がいま成功しているのは、そういう視点・マインドを15年も前から持ち続けているからですよね。彼のような先見の明を持っている人がいたから、いろいろなことにトライできたと思います。

徳力 それからずっとテレビ東京でインターネットサービス全般の企画開発に携わられて、2013年にテレビ東京コミュニケーションズの取締役になられた。

蜷川 そうです。「テレビ東京BOD(ビジネスオンデマンド)」という、おそらく放送局が手がけた最初の動画サブスクリプションサービスを立ち上げるのと並行して、グループ内のインターネット事業を統括するテレビ東京コミュニケーションズの立ち上げに携わりました。

徳力 そうして2015年にTVerがスタートするわけですが、TVerについては、当初は側面支援の立場だったとのことで、驚きました。

蜷川 TVerは、立ち上げから数年は各局の合議制で運営されており、僕はその運営メンバーの一人という位置づけでした。業界内の風当たりは強く、なかなか受け入れられなかったのを覚えています。期待値が高くないばかりか、基本的には「テレビ局が公式に番組を配信するなんて、ふざけるな」という反応が大多数でした。

当時、僕らが意識していたのは「自分たちの発信をバズらせるための動線をつくる」ということ。具体的にいうと、Yahoo! トピックス(以下、ヤフトピ)に拾ってもらうことを意識していました。放送が終わったタイミングでヤフトピに載るようなネタを記事で発信し、そこから見逃し視聴に誘導するという動線をつくろうとしていました。

これはちょっとした笑い話なんですが…実際に、とある番組がヤフトピに載って、月間視聴数が1位になったことがありました。大喜びで役員会で報告したら、終了後すぐにある役員に呼ばれて。「あの回の視聴率が悪かったのは、君たちがあんなことをやるからだ」と言われたんです。

徳力 記事がヤフトピに載ったのは放送後ですから、視聴率とは関係ないような…?(笑)

蜷川 「見逃し配信があるとリアルタイム視聴が減る」という理屈ですね。そして、その番組は配信が終わってしまったのです。

徳力 そういう“地上波至上主義”と戦いながら、テレビのアセットを活かしたインターネットビジネスの立ち上げを推進してきたのですね。TVerへのコミットメントが高まるきっかけは何だったのでしょうか?

蜷川 ITに強いというバックグラウンドもあって、各局の局長クラスが集まってTVerについて議論する会議には、ずっと出席させてもらっていたんです。責任者ではないけれど、中心メンバーという立ち位置でずっと関わっていました。

転機は、忘れもしない2019年の4月、連休前の金曜日のことでした。当時TBS取締役でTVerのプロジェクトリーダーだった龍宝正峰さんを中心に各局が集まる会議で、「このままの体制ではダメではないか」と提言したんです。

立ち上げから3年半が経ったTVerは成長の踊り場に差し掛かっていて、さらにサービスを伸ばし、マネタイズするために、各局が本腰を入れて取り組む必要があると感じていました。でも、現在の合議制では新しい施策をスピード感もって進めることができないし、使える予算も限られていた。放送局が全面的な支援を行う前提で、自主自立的にサービスを成長させていく体制をつくる必要があると思ったのです。

その会議体では私が年次が一番下である上、言い出しっぺということで、連休に山小屋にこもって新体制の企画書を書くことになりました(笑)。そうして、各局から増資する形で2020年6月に株式会社TVerが設立され、龍宝さんとともに経営に携わることになりました。企画書こそ書いたものの、まさか自分がTVerに入るとは思っていませんでしたね。
  

徳力 そこからは、現在に至るまで順調にビジネスを伸ばしてきた。

蜷川 いや、苦労の連続です。特に大きい出来事でいうと、2022年に「リアルタイム配信」(テレビ番組を放送と同時にTVerで番組を視聴できる機能)を始めるにあたって、アプリをフルリニューアルしたんですが、計画がほぼ1年遅延するという…。その1年間、僕の仕事はほぼ関係各所に「謝ること」でしたね。

徳力 リアルタイム配信に耐えるための、アプリのフルリニューアル。当時、誰も経験したことがなかった、難しいプロジェクトですね。

蜷川 2004年のライブドア事件の時に「NIKKEI NET」(日経電子版の前身)の開発に携わっていたのですが、あの時に「大型のトラフィックをさばく」ことの大変さを知りましたね。それで、24時間365日体制で急なアクセス集中にも耐え、運用し続けられるシステムをつくらなければという意識はあったのですが、それが開発チームに十分に伝えられていなかった。開発工程も終盤にさしかかったタイミングで、蓋を開けてみたら、必要なクオリティに全く達していなかったという次第でした。

徳力 テレビとネットのサイマル(同時配信)をやるにあたって、求められるシステムの堅朗性に対する意識の違いもあったのかもしれませんね。

蜷川 はい、それに加えて、サービスのコンセプトを、「新たなコンテンツへの出会い」=セレンディピティを前面に押し出したのですが……ユーザーはやはり「見たいコンテンツにいかに早くたどり着けるか?」という価値観が強く、迷子になってしまい、アクセス数も落ち込んで、かなりお叱りも受けました。本当に手痛い失敗でしたが、いまとなっては得るものも多い経験でした。

徳力 インターネットビジネスに明るい蜷川さんですら避けられなかった事態。テレビ業界の未来をつくる大きな挑戦には、その失敗も必要なプロセスだったのかもしれませんね。
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