今年の受賞作品の傾向は?公式セッションで中心的に議論されていたテーマ・トピックは?事業会社やブランド、マーケターにとっての気づき・学びは?ーーアジェンダノートでは、カンヌライオンズ2025を様々な切り口で、さまざまな関係者と振り返っていく。

 今回の執筆者は、WPPジャパンの一角を担う外資系広告会社 VML & Ogilvy Japanにて、ストラテジーのトップを担う名古 塁(なご・るい)氏。

 カンヌライオンズ常連のグローバルクライアントを長年担当し、受賞経験もある同氏だが、現地参加は今年が初めてだった。カンヌの地で5日間にわたって体験したこと、かねてから持っていた課題感と照らし合わせながら思考したことを、2回にわたってレポートする。

 本稿では、今年最も世界の注目を集めた“強すぎる”3つの受賞作品について、ストラテジストの視点から強さの秘訣を考察する。

(ちなみに、次回は公式セッションの紹介が中心となる予定。会期中、セッションからセッションへと奔走する名古氏の様子をアジェンダノート編集部も目撃しているゆえ、こちらも大変楽しみ)
 

どうすれば、広告は広告を救えるのか?

 
名古 塁
VML & Ogilvy Japan, Chief Strategy Officer

 WPP傘下のグレイとVML &Ogilvy Japanにて15年に渡りグローバルクライアントのブランド戦略、事業・商品コンセプト開発、クリエイティブ戦略、統合コミュニケーション戦略の開発に携わる。これまで、APACエフィー賞での3つのゴールドを含む計11のエフィー獲得をはじめ、国内外のエフェクティブネスや戦略に関するアワードを数多く獲得。またクリエイティブ・ストラテジストとして、カンヌ、ワンショー、ニューヨークフェスティバル、Spikes、D&AD、ACC賞、日経広告賞、電通賞にも名を連ねる。
学生時代に3枚のCDをリリースした過去を持つ。バンド再結成を目論んでいるが、いつも飲み会だけで終わっている。

 世の中が、広告ディストピア化しているような気がする。

 深夜残業で疲れ果て、タクシーのシートに身体をうずめると、その瞬間に目の前のモニターからやたらとブランド名を連呼するCMが流れ出す。再開発が進む渋谷のビルの壁という壁は、いつの間にかすべて巨大な動画広告メディアで埋め尽くされ、四方から大音量で広告が流れてくる。そのビルの合間を、巨大なトラックが高額バイトの広告を爆音で流しながら走る。新宿駅の柱という柱は、これまたいつの間にやら、ぜんぶ動画広告メディアになった。

「ブレードランナー」や「マイノリティ・リポート」の世界が現実化している。なんだか街を歩くのが疲れるぞ。僕がおっさんになったからか? Z世代の姪っ子に聞いたら、どうやら同じ意見らしい。

  束の間の息抜きに、昨日勝った阪神タイガースの記事をスマホで読もうとすると、AIがつくった広告が邪魔してきてなかなか読めない。その広告をなんとか消したら、今度は5秒間、別の広告を見ろと言ってくる。消そうとしたら、そのサイトに飛んでしまった(この操作ミスは、僕がおっさんだからだ)。結局、めんどくさくなって読むのをやめた。

  Appストアの有料アプリ売上ナンバー1は、昨年からずっとアドブロッカー(この原稿執筆時点の7月13日のランキングを見ても、そうだった)。消費者にとって広告が、「タダなら、まあ見てあげてもいいもの」から「お金を払ってでも、見たくないもの」になってしまった。でも、その気持ちも理解できなくはない。広告の量も、そこに流れる広告の質も、ある一線を超えてしまっている。こんな世界、広告業界にいる僕でもだいぶうんざりする。

 ちょうどそんなことを感じていたタイミングで、カンヌ行きの話が来た。広告ディストピア化しつつあるこの世の中で(※個人の感想です)、どうすれば広告は広告を救うことができるのか?我々の大切なクライアントの広告を、見たくなるコンテンツや体験にできるのか? そのヒントを探したいと思い、ニースに飛んだ。

 ・・・と、なんだか大げさな書き出しになってしまった。でも、これは今の世界に少しうんざりし始めてきた自分の偽りない気持ち。もし、いくばくかでも同じようなディストピア感を感じている読者の方がいれば、このレポートが、そこから抜け出すヒントに少しでもなれば嬉しい。

 個人的に注目した受賞作についてはもちろんだが、期間中に開催されるセミナーにも、朝から晩まで張り切って参加してきた。その様子についても書けたらと思う。
 

まずは、今年めちゃ強かった3つの作品から


 まず、今年複数のカテゴリーでグランプリやゴールドを獲得しまくっていた3つの作品について触れないわけにはいかない。

 1つ目は「Caption with Intention」(キャプション・ウィズ・インテンション。日本語訳すると「意思を持った字幕」みたいな感じか)。クライアントは、シカゴの聴覚障害者を支援するNPO、映画プロダクションRakish、そしてアカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミー。ブランドエクスペリエンス&アクティベーション部門をはじめ、なんと3部門でグランプリを獲得したほか、その他の部門でもゴールドをはじめ多数のライオンを獲得した、今年を代表する作品の一つだ。

 聴覚障害者が映画鑑賞をする際に欠かせないのが、Closed Caption(クローズドキャプション)と呼ばれる、セリフなどの音声情報を表示する字幕。このアイデアは、テクノロジーの力によって、出演者たちのセリフのトーンやニュアンスをリアルタイムで認識して、字幕に色や大きさの変化、そして動きをつけられるようにしたものだ。

 これによって、今までただ無機質に表示されていただけの字幕が、突如エモーションを帯びるようになり、文字通り「生きたセリフ」へと生まれ変わる。聴覚障害者の映画体験を、本来あるべき豊かなものに変えるアイデアなのだ。その様子はぜひケースビデオで見てほしい。
 

「Caption with Intention」ケースフィルム

 ちなみに後のセミナーで知るのだが、実はこれ、自身も聴覚障害を持ち、そして映画好きでもある社内デザイナーの、字幕に対する不満から生まれたアイデア。つまり極めて個人的なインサイトから発想されたアイデアなのだ。しかも実現まで、実に6年もの歳月をかけたらしい。NPOとの共同プロジェクトとして始まり、多くの企業に出資を断られる中でも粘り強く交渉を続け、最終的には著名な映像プロダクション、そしてアカデミー賞の主催団体をもプロジェクトに巻き込むことで、今後のスタンダードとしてオーソライズされた。人間の情熱によって実現された、凄みのあるアイデアなのだ。

 一人の人間のインサイトから着想し、テクノロジーによって実現され、多くの人間の賛同によって社会実装されていく。まさに今の時代にふさわしい、ヒューマニティとテクノロジーの共同作業によって生まれたアイデアだった。

 2つ目は、保険会社AXAの「Three Words」(3つのワード)。こちらもチタニウム部門やダイレクト部門のグランプリをはじめ、多くのライオンを手にしている。フランスでは加入が義務づけられている住宅保険。これは火災や洪水で家に住めなくなった際に、補償として別の住居を用意してくれるという保険のようだ。

 AXAがやったことは極めてシンプル。この保険の補償対象となる災害として、従来の火災、洪水に加えて「ドメスティック・バイオレンス」という言葉を加えたことだ。(英語では「Fire, Flood, “and Domestic Violence”」という3単語を加えているので “Three Words”なのだ)。たったこれだけで、商品そのものを変えた。つまりDVを火災や洪水と同様に「家に住めなくなるほどの災害」と位置づけ、今までだと、たとえ家庭内でDVを受けた場合であっても経済的な事情などで家を出ることができずにいた女性たちに、補償として住居を用意できるようになった。

 もちろん、本来ならDVそのものが起こらない世の中になったほうがいい。しかし、起こってしまうDVからどう被害者を救うのか。保険対象にたった3語を加えただけで、今後起こるかもしれないDVの被害者を救うことができる。シンプルだが制度そのものを大きく変える、とてつもなく大きなクリエイティブだった。
 

「Three Words」ケースフィルム

 3つ目に紹介したいのは、「Lucky Yatra」。クライアントはインド鉄道。PR部門のグランプリをはじめ、6部門でゴールドを獲得している。

 さすが人口世界一の国、インド。駅や電車内に乗客があふれまくっているインドの鉄道では、大勢の人が切符を買わず、駅員の目を誤魔化して電車にタダ乗りしているらしい(その数、なんと40%以上。なんかインドっぽいソーシャルイシュー!)。

 この事例が秀逸なのは、「切符をちゃんと買わなきゃ」と思ってもらうための広告キャンペーンをするのではなく、「切符を買いたい」と思わせる仕組みをつくったことだ。しかも、何か大掛かりな仕組みを新たにつくったわけではない。元々きっぷ一枚一枚に印字されていた識別番号のようなものを、宝くじの当選番号にしただけという、既存のものに違う意味づけをしただけの、極めてシンプルなアイデアなのだ。
 

「Lucky Yatra」ケースフィルム

 この「きっぷの宝くじ化」というアイデアが、いかにもふだん電車をタダ乗りしてそうな人のインサイトに刺さりそうな、戦略的にもよく考えられたアイデアだという点も加えておきたい。「タダ乗りして、お金をケチりたい」も「一発当てて、お金を儲けたい」も、根底はお金に対するささやかな欲だ。さらに書いていて気づいたが、「駅員に見つからないように、タダ乗りする」という行為も「宝くじを買う」という行為も、「ドキドキしたい」という同じ欲望を突くものかもしれない。なるほど。

「元々あったきっぷの識別番号を当選番号にした、新たな宝くじをつくる」。たったこれだけのアイデアで、「お金をケチりたいから、きっぷを買わずにタダ乗りする」ことが当たり前だった世界に、「お金が欲しいから、切符を買う」という新しい行動を生み出したのだ。