関西発・地方創生とマーケティング #16

なぜ祇園辻利は、お客さまから長く愛され続けるのか

前回の記事:
靴下専門店「タビオ」越智社長が語る、メンズにこだわる理由

40年前から「インフルエンサーマーケティング」




 最近、美味しい日本茶を召し上がりましたか?

 お茶と言えば、京都の宇治茶 祇園辻利です。

 祇園辻利と聞いて、お茶ではなく人気の「抹茶パフェ」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?

 江戸末期、山城国宇治にて創業し、台湾統治時代には台北へ出店。その後、祇園に開業した祇園辻利はお茶の商いを広げて、現在では茶寮都路里でパフェなどの抹茶スイーツも扱っています。興味を持った私は、6代目社長の夫人であり、同社 取締役の三好正代さんに話を伺いました。

祇園辻利 取締役 三好正代さん

 「日本人にとって当たり前の存在であるお茶。それがゆえに、外でお金を出してまで日本茶を飲むという文化は、ありませんよね。でも、コーヒーにならお金を出します」と三好さんは話します。

 1970年の大阪万博以降、食文化に大きな変化が起こって朝食をパンとコーヒーで済ませる人が増え、お茶の販売が激減したそうです。そこで茶道とは別に、気軽にお茶を飲んでもらうにはどうすればいいか。お茶の飲み方を広めるために1978年につくったのが、喫茶店のようにお茶を楽しむことができる「茶寮都路里」です。

 しかし、単に日本茶を提供するだけでは人は来ません。甘いものなら老若男女に受けるのではないかと考え、アイスクリームに抹茶を入れて、それがパフェに発展したそうです。



 ただ当初は、お客さんが集まりませんでした。そこで考えたのが、舞妓さんに飲食できるチケットを渡して食べに来てもらうという施策。すると「舞妓さんが食べに来はる喫茶店」として人気を呼び、繁盛しだしたそうです。まさに、40年前のインフルエンサーマーケティングですね。
 
行列ができる旧本店ビル
 
 でも当時、どのようにして、そのアイデアに至ったのでしょうか。三好さんは「常に何か工夫するところはないか知恵を絞り、同じものを見ても敏感に感じ取るセンサーを持ちながら、発案したことをやり切る力と熱さと執念がそこにあったからではないか」とおっしゃいます。

マーケターに役立つ最新情報をお知らせ

メールメールマガジン登録