顧客体験をテクノロジーで拡張する~リテール業界のDXレポート~ #01

DXを通してパルコが目指す「10年後も変わらない価値」とは【新連載:J.フロント リテイリング 林直孝】

 

あるコーヒーショップの体験


 ひとつは最近、急速に身近になってきたAIの活用についてです。

 私はパルコで本社勤務していたころ、出勤する際駅から歩いてくる途中にあるコーヒーショップでコーヒーを買って出社するのを日課にしていました。買うもの、支払い方法はいつも決まっているので、私の顔を覚えてくれている店員さんが接客してくれる際は、最低限のやり取りで済む関係でした。

 ある年の2月14日の朝は、顔なじみの店員さんが接客してくれました。彼女は特に「いらっしゃいませ」も言わず、私が注文する前からコーヒーを注ぎ始め、既に手元の決済端末がタッチされるのを待ち受けている状態です。コーヒーが出てきた時、彼女が何と言ったと思いますか?

「ブレンドLサイズ、お待たせしました」ではなく、「今日はバレンタインですね」と笑って、コーヒーと一緒に小さなチョコレートを渡してくれたんです。



 偶然の出会いがもたらす幸福感、といったような意味で「セレンディピティ」という言葉がありますね。私も好きなキーワードです。この朝、思いがけない接客をしてもらえたおかげで、朝から嬉しい気持ちになれて、その日を楽しく過ごすことができました。

 私はこれがAIには代替できない、「人がやること」の価値だと思うのです。そしてAIなどテクノロジーの活用は、この価値を拡張する時にこそ威力を発揮すると考えました。たとえば、AIを搭載した顔認識カメラで顧客を判別できれば、機械的なやり取りではなく、このニコッと笑ってチョコをくれた店員さんのような素敵な接客を、他の店員さんもできるようになります。

 上の図は、2017年にパルコ店舗内に設置したカメラで画像を解析して、来店者数やその属性、リピート客かどうかなどを判定できる仕組みを導入した際に、講演用につくったものです。AIの活用法はさまざまに模索を続けていますが、本質はこういうことだと思っています。

 そして、もうひとつ。デジタル領域で仕事をする中で、私にとって大きな気づきとなり、常に頭の片隅に置いているのが、Amazonの創業者であるジェフ・ベゾスさんの言葉です。

 ある講演で、彼は次のように語ります。

「私は『今後10年で何が変わるのか』を頻繁に聞かれます。何が変わるかよりも、もっと重要なのは『何が変わらないか』です。そのことを真剣に考えるべきです。なぜなら、あなたのエネルギーをどこに注ぎ込むべきかを自分で判断できるからです」

 彼はAmazonの本業であるECにおける「10年後も変わらないもの」について、安さ、スピーディーな配送、品数の豊富さを挙げました。これらに対する消費者のニーズは非常に安定的なものだ、というのです。

 DXという言葉が出てきて、デジタル技術によって企業を変革することがトレンドになり、私のような仕事をしている人がどこの企業にもいる時代になりました。その多くは、DXによって「変わること」をすごく重視していたと思います。

 私もパルコのDXを推進する立場として、新しいテクノロジーを使って、何をどう変えるのかという方に目線が行きがちでした。しかし、この言葉に出会った時、ハッとしたんです。

 有名な話ですが、そもそもAmazonは創業時、カスタマーエクスペリエンス、顧客体験価値を起点に置いて、これを高めるために販売者をたくさん集めて品揃えを拡充し、たくさんのお客様が利用することで、品揃えがさらに良くなるとともに、価格競争力が生まれて、さらに顧客体験価値を増幅する、という成長サイクルを描いていました。さまざまな環境の変化が起こっても、シンプルに「変わらない価値」を、さまざまなテクノロジーも使いながら追求してきたことが、Amazonの成長を支えてきたのです。

 ベソス氏の言葉は、DXに向き合う者として常に、座右に置いておきたいものです。そしてこの連載でも、各企業でデジタル技術によって何らかの価値を生み出そうとしている方々にぜひ、下のような問いを考えてみることをご提案します。
 
10年後も変わらない価値 「」に求められる役割は?

「」の中にはそれぞれの企業や事業、業種といったものを当てはめてみてください。私の場合は「ショッピングセンター」(SC)です。テクノロジーの活用を考えるにあたって、10年後も変わらずにSCに求められる提供価値とは何だろう、ということをまず考える。この順番を間違えないでおこうと常日頃、思っています。

マーケターに役立つ最新情報をお知らせ

メールメールマガジン登録