関西発・地方創生とマーケティング #41後編
「点と点がつながり、やがて縁となる」奈良・興福寺の僧侶が導き出した役割の見つけ方
これまで関西を中心に面白いマーケティングの取り組みをされている人や企業を取材してきた本連載ですが、今回は少し異色の回となります。俳優の鈴木亮平さんが出演するJR東海のキャンペーン「いざいざ奈良」のロケ地ともなっている奈良・興福寺執事長 辻明俊さんにお話を伺いました。
実は辻さん、奈良のマスコミには有名な存在だそう。前職で報道記者をしていたアジェンダノート編集部の木原みな子さんの紹介で今回の取材となりました。お寺といえども活動資金が必要で、マーケティング的な思考や戦略があるのでは…という仮説を立てて臨みましたが、お坊さんならではの深遠なお話を聞くうちに、普段のマーケティング思考が揺さぶられるような感覚になりました。
大ヒットした「国宝 阿修羅展」や精進弁当について聞いた前編に続き、後編はお寺が収益を得る理由や目指すもの、そして「マーケティングは必要か?」という話にまで発展しました。
実は辻さん、奈良のマスコミには有名な存在だそう。前職で報道記者をしていたアジェンダノート編集部の木原みな子さんの紹介で今回の取材となりました。お寺といえども活動資金が必要で、マーケティング的な思考や戦略があるのでは…という仮説を立てて臨みましたが、お坊さんならではの深遠なお話を聞くうちに、普段のマーケティング思考が揺さぶられるような感覚になりました。
大ヒットした「国宝 阿修羅展」や精進弁当について聞いた前編に続き、後編はお寺が収益を得る理由や目指すもの、そして「マーケティングは必要か?」という話にまで発展しました。
中世のフランチャイズビジネス
企業は顧客の課題を解決するために存在し、存続しているのだと思っています。たとえば鉄道であれば、人が楽に安心・安全に移動できるサービスを提供して対価をいただく。そしてそれを原資にさらに安全性を高めたり、働いている我々のお給料を出したりしている。
しかしお寺の場合、いろんなことを求めて来られる方々に何を提供するのでしょうか。後編は敢えて、そんな素朴な疑問を辻さんに投げかけてみるところから始めます。前回同様、辻さんの語りを中心にお届けします。
辻 元々、企業のようにサービスを提供して対価をいただく、という考え方はなかったでしょう。古代の寺院はいわば大学のような場所でもあり、僧侶は学問として仏教を学ぶことに重きを置きました。興福寺は早くから教学の中心を法相唯識(※1)に定め、法相専寺として幾人もの学侶を輩出します。一方で、度重なる被災と再興を繰り返した歴史からは、巨大な伽藍を維持していくというストレスが常にあったと考えます。
※1:ルーツはインドにあり、玄奘三蔵が学び中国へ伝える。日本に伝来したのは飛鳥時代。
かつての興福寺は藤原氏の氏寺(うじでら)でした。氏が繁栄を極めると寺勢も盛んになりますが、戦国時代以降、藤原氏の力が衰え始めると、被災した伽藍の復興は徐々に困難となっていきます。
氏や朝廷の支援はあてにできない状況下、伽藍を維持するための資金調達として、隆盛したのが寺院醸造でした。室町時代から江戸時代に書かれた「多聞院日記」には、卓越した酒造りの記録がいくつも確認できます。【諸白/段仕込み/火入れ】という、近代醸造に欠かせない造りをこの時代に行っていたのです。これが後に、奈良の清酒発祥の所以ともなります。澄んだキレイな酒は、公家や大名への贈答品として評判を呼び、財源調達手段の主要な産業として発展していきます。
実はこの「僧坊酒」、今も飲めるんですよ。奈良県の銘酒「風の森」を醸す油長酒造(御所市)さんが「多聞院日記」1568年の記述をもとに醸造したのが「水端 1568×興福寺多聞院」です。私も蔵に入りお手伝いをさせていただきました。数量限定で、興福寺国宝館ショップで取り扱い中です。
2024年はほかにも、「雑誌サライ」の企画でカレーについて対談したのをきっかけに、正倉院文書など古文書に書かれたスパイスや食材を使った精進カレーを監修しました。
水端 1568×興福寺多聞院(画像提供:油長酒造)
明治時代の神仏分離令によって荒廃したのは、先に(前編)お話しした通りです。現在までの復興の道のりは険しいものでした。興福寺は世界遺産の構成資産であり、仏像や堂塔など国指定文化財の保存修理や維持には、一部公的な補助金の支えがありますが、中金堂再建は独自資金で行いました。
2018年、中金堂は天平時代の姿で甦りました。実は江戸時代の火災後に再建された金堂は、本来の規模より一回り小さく、ながらく仮設建物として扱われていたのです。2000年、老朽化の極みにあって解体。その後、発掘調査をおこない、文献や絵画など、残された記録をもとに調査研究を続け、考古学や建築史学など、第一線で活躍する研究者の力を借り、古人の声を聞き、創建時の様式・規模で再建することができたのです。
私の師匠である多川俊映寺務老院が、先人の意思、すなわち「天平回帰」を受け継ぎ、「後世に恥じぬように、仕上げるのが任務」と言っていたのを思い出します。
夢は思い描くことから始まります。私も「天平の文化空間の再構成」という翼を広げ、ひとつでも伽藍再建を果たしたいですね。「僧坊酒」の再現やカレーのプロジェクトも豊かな感性を磨き、創造性を求めていく一環のつもりです。寄り道できるゆとりは大事!ってことかな。
最初のご質問に答えますと、現在の興福寺は、こういった伽藍の再建や維持管理についても、拝観料やご寄進といった形で支えられています。気持ちを寄せてくださる方は、仏さまの前で手を合わせ、時に寄進を届けることで、心の安寧や文化を守る意義を感じてくださるのではないか。
ただし、企業のように対価と引き換えに「サービス」を提供しているかというと、そういう意識はほとんどありません。情のこもったやり取りができなければ、必ず遠ざかってしまう。これはいつも念頭に置いています。