関西発・地方創生とマーケティング #41後編

「点と点がつながり、やがて縁となる」奈良・興福寺の僧侶が導き出した役割の見つけ方

 

マーケティングは必要か


 これまでお話しした事業は、収益の柱とはみなしていません。あくまでお寺を知ってもらうための入り口づくりに過ぎません。歴史や文化を継承・再構成する意味合いもありますし、新しい経験を積めば視野は広がります。でも、好きなことをやるのは、なにより働くための原動力ですよね(笑)。

お寺の副収入や事業の多角化については、興福寺ではありませんが、お寺がとても困窮した際に、お坊さんが外に働きに出ようとしても決して許されず、ただ仏道にのみ邁進するように師匠から諭されたという有名な逸話もあります。本当に価値あるものは、芯を外さなければ、誰かが支えてくれるのだと思います。

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 マーケティングの観点から言うと、興福寺はかつて藤原氏の庇護があった頃は、現在のように幅広い人に向けて価値をつくり、伝えるようなマーケティングを必要としませんでした。しかしやがて自前で収益を上げる必要が出てきて、お酒の醸造や、仏像の出陳などで運営資金を捻出してきました。現代においても、精進弁当や「国宝 阿修羅展」などの事業に関わってきた辻さんの仕事は、その延長だと考えられます。

 企業にどのようなマーケティングが必要か、時代で変わるということを考えた時、私は自分が所属する近鉄グループの鉄道事業を思い浮かべました。100年前、都市部から郊外へ線路を引き、都市部にはオフィスや学校を、郊外には住宅やレジャー施設をつくり、平日は通勤通学、休日にはレジャーと、日銭が入る仕組みを作りました。当時の鉄道事業者は、まさにマーケティングをしていたのだと思います。

 そして、その仕組みが秀逸であったがためにその後100年間、マーケティングを意識しなくてもよくなったのです。でもそれに安住していたがゆえ、今のように少子高齢化、在宅勤務が進むと、今までのようには日銭が入らなくなりました。収益を生み出す仕組みづくりをマーケティングと呼ぶなら、興福寺も、鉄道事業も、今まさに新しいマーケティングを必要としているフェーズと言えます。辻さんのお話を聞いていると、マーケティングで重視する売上や再現性、効率性とは別の価値観で動かれていて、結果的に収益や、興福寺というブランド価値を生み出されていると感じます。


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 私はたまたまマーケティングやプロモーションが強く必要とされる時機に居合わせて、エアポケット、いや、すき間にはまったという感じです。マーケティングを学んだことはありませんが、むしろ経験がなかったから、「~しなければならない」という固定概念に捉われずに挑戦できたのかもしれません。

若い頃、電通の人にこんなことを言われました。「自分は1日2本の企画書を書くことを長年実践した。若いうちは何もできないが、お寺は掃除するのが小僧の役目だろう。掃除している間は自分の時間。誰にも邪魔されないのだから、何を目指し、何をやりたいか、しっかり考えろ」。この言葉は今も大事にしています。

10年ぐらいですかね。掃除の間に企画や発想を鍛える習慣をつけました。今は弟弟子もいるので、お堂を掃除する頻度は減りましたが、できる時は積極的に勤めています。今朝も掃除をしてきました。そういう時にいい言葉や面白いアイデアも湧いてくるんです。

最近は年のせいか、物忘れが多くなったような。しかし、それも悪いとは思いません。忘れると頭に空白地が生まれます。自分の貯めた思考や経験に執着することはない。そんなものは一瞬でAIに取って代わられます。新たにできた空白地に何を書くか、心を躍らせることが大切だと思います。

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 最後に、辻さんが著書『興福寺の365日』に書かれていて、印象に残った言葉についても伺いました。世間ではよく「点と点を結べば線になって、そして面になる」と言いますが、辻さんは「点と点で縁になる」とおっしゃいました。そして「キャリアは偶然ではなく天意」だと。

 これらの言葉を見た時、私はまた、自分のキャリアを思い起こしました。建築職で近鉄グループに入社して駅舎の設計を、そして交通広告など宣伝の仕事を経て、伊勢志摩への観光プロモーションを担当していたところ、志摩スペイン村の支配人になって、そこで旅館やホテルの仕事に携わり、今ではホテルの仕事がメインです。会社の上層部がそれを最初から思い描いていたとは思えませんが、自分なりに考えると、何か繋がっているんです。天意とまでいかないけど、偶然ではなく、何かの脈絡があるのではないかなと。このことを思い返した時に、辻さんの言葉がすごく腑に落ちるというか、いい言葉だと思いました。


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 結果から考えても、原因から考えても、結局両方は繋がっていて、一方だけが「ある」ことはないのです。私たちは単独で存在しているように思えても、社会は人と人が手を取り合って、網の目のように繋がり合っているのです。自分という点、お寺という点を重ね、太く濃い線にする。やがて誰かと繋がり、大きな縁(輪)となっていくのです。

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 最後は僧侶らしい、深遠なお話を伺いました。マーケティングの参考になる再現性のあるお話を聞かなければと思っていましたが、なんだか最後は「再現性っていらないんじゃないか」と言いたくなるような境地に達してしまった対談でした。

 読者の皆さんの参考になったかは分かりませんが、時には再現性や効率を離れて、辻さんのように大きな目標を見据えたり、頭に「空白地」を設けたりされるといいかもしれません。

 
     1300年前の創建時と同じスケールで復興された中金堂(画像提供:興福寺)
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