「クライアントを巻き込んで、事業を一緒に盛り上げる仕組み」という捉え方


 そのヒントは、今回私が審査を担当したイノベーション部門にあった。

 9年前、イノベーション部門は、カンヌライオンズの中でもとても特殊な部門で、唯一「ライブ・プレゼンテーション」がある部門だった。今では、チタニウム部門とグラス部門でもライブ・プレゼンテーションが行われているが、「元祖」はイノベーション部門であると言っていい。



 事前のオンライン審査でショートリストを選出、ショートリストに選ばれた作品のつくり手は、カンヌにやってきて、10人程度の審査員を前にしてプレゼンを行うことになる。

 このプレゼンは、ちょっとした「マネーの虎」状態だ。私などは前述の通り、技術者代表だから、プレゼンターに対して技術的な質問を行う。それは時にはプレゼンターにとって意地悪な質問になることもあるから、返答に詰まってしまうようなこともある。

 ただ、このライブ・プレゼンテーションは本当に面白いというか、この部門を特徴づけているもので、他の部門のビデオ審査・資料での審査などとは違って、実際につくり手と質疑応答ができることで、話してみないとわからなかった新しい情報を得ることができる。これは、応募作品の評価を大きく変えることになる。実際、ショートリスト段階では票数が少なかったエントリーが、プレゼンテーションの後に大きく票を伸ばす、なんていうことも多々あったし、その逆も多々あった。

 このプレゼンテーション、プレゼンテーションに先立ってほとんどすべての審査員が注目している「事前情報」があった。

 それは、「プレゼンターの肩書き」だ。




 まず見るのが、広告代理店のクリエイティブ・ディレクターだけではなくて、クライアントの担当者が一緒にプレゼンの場に立っているかどうか。そしてそのクライアントの肩書き、例えば「CxO(xにはEとかOとかTとかが入る、最高○○責任者)」なんかが出てきていると、審査員たちはちょっと「おっ!」となる。

 何を見ているのか。これは、「クライアントの本気度」を見ているのだ。しかも、プレゼンテーションより先に。

 クライアントが、しかもCxOが、カンヌにやってきて自分たちのアイデアやプロダクトについてプレゼンテーションする。ということは、これはクライアントもしっかり本気でコミットしているプロジェクトということになるのではないか。逆に、広告代理店のクリエイティブが2名で出てくるような場合は、そのへんに疑義を生じてしまうということにもなる。

 審査の基準も、この部門においては、事業性や、事業の持続可能性をかなり見られる。「イノベーション」とは、「次世代の普通」をつくるということだ。単純によくできたアイデアだけでは、それは広がらないし、経済的にも運用的にも合理的な事業化がなされてこそ、それがイノベーションたりえる。そんなことを審査員たちは理解して審査しているように見えた。私もしかり、そこはしっかり見るようにしていた。

 この部門でゴールドライオン=金賞を受賞し、他の部門でもグランプリを複数受賞した「Caption with Intention」は、聴覚障害者のために、映画や配信番組の字幕に感情やトーンを表現するアニメーションを組み込むという活動だが、これなどは、アイデアだけでいうとそこまで思いつくのが大変なアイデアだとは思わない。
 
「Caption with Intention」ケースフィルム。チタニウム部門チタニウム、ブランドエクスペリエンス&アクティベーション部門グランプリ、イノベーション部門ゴールド、エンターテインメント部門ゴールド、デザイン部門グランプリ、デジタルクラフト部門グランプリ&ゴールドなど、複数部門でグランプリやゴールドを受賞し、カンヌライオンズ2025で最も注目された作品の一つ。

 しかし、大事なのは、この作品はアカデミー賞を巻き込み、Netflixなどの配信プラットフォームを巻き込み、という形で、活動をムーブメントとしてしっかり広げているという点だ。

 これが評価されているということは、前述のように、クライアント・事業者側がしっかりとこの活動に取り組み、営業担当者やプロデューサーといった人々の努力の結果がしっかり評価されているということだ。「クリエイティブ」はこの中で、機能の一部でしかない。

 カンヌは、いつしか、クリエイティブだけのお祭りではなく、他のスタッフやクライアントも含んだチーム全体を「クリエイティブ」として評価するお祭りになっていた。

 昨今、カンヌライオンズのカテゴリが多すぎるのではないかと考える向きもある。しかし、このように「クリエイティブ」とみなされる対象が多様化している中では、それはそれで合理的であるとも言える。そのように初めて理解することができた。

「イノベーション」とは、「透明になる」もののことだと私は考えている。自動車だって、テレビだって最初は圧倒的に新しいものだったが、普及して誰もが使うようになると、そこにあることが普通になる=透明になる。

 今年のイノベーション部門でグランプリを受賞した「Sounds Right」は、Spotifyなどの音楽配信プラットフォームに「Nature=自然」という名のアーティストをつくり、自然界の音素材を音楽クリエイターに提供。この素材を使って、「Featuring Nature」という形で音楽をリリースすると、その音楽配信の収益を自然保護用途に寄付する、という仕組みだ。
 
Museum for the United Nations - UN Live, Spotify「Sounds Right」ケースフィルム。イノベーション部門グランプリと、SDGs部門ゴールドを受賞した。

 一度曲をリリースすれば、その曲はずっと寄付を生み続けるし、リスナーは無意識に、音楽を聴くだけで環境問題に貢献できる。無意識に生活に無理なく組み込まれている、「透明になる」ことが約束された取り組みだからこそ、グランプリを獲得したと言える。

 カンヌライオンズは「よくできた仕組み」だ。クリエイティブの人間にとっては麻薬的な「毒」になってしまう部分もある。そんな課題を残しながらも、クライアントを巻き込んで事業を一緒に盛り上げる仕組みだと考えたら、それは良い仕組みであるとも言えるのではないか。

「カンヌ抜き」をした私からしても、もし、「透明になる」ような仕事をクライアントと一緒につくり、一緒に評価を喜ぶことができるのなら、今度はプレゼンターとしてカンヌに赴くのも悪くないな、と思った。

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