マーケターズ・ロード 元グーグル日本法人代表 村上憲郎 #02

元グーグルCEO エリック・シュミットが見初めた「ミスターAI」 元日本法人社長・村上憲郎

 グーグル米国本社副社長およびグーグル日本法人社長・名誉会長としてインターネット業界の第一線で活躍し続けてきた村上憲郎氏。黎明期からインターネット広告の成長の軌跡を間近で見つめ続けてきた同氏の半生を振り返りながら、日本企業やマーケターに求められる視点について考えた(第2回/全4回)。
 

村上氏をグーグルに導いた、AIへの関心と経験


村上憲郎氏むらかみ・のりお/日立電子のエンジニアとしてキャリアをスタートし、DEC日本法人のマーケティング取締役、ノーテルネットワークス日本法人CEO、ドーセント日本法人代表などを歴任し、2003年4月よりグーグル米国本社副社長兼グーグル日本法人代表取締役社長に就任。2009年に日本法人の名誉会長になり、2011年退任。エナリスの代表取締役を経て、現在は複数の企業のアドバイザーなどを務める。

 DEC日本法人のマーケティング取締役、ノーテルネットワークス日本法人CEO、ドーセント日本法人代表を経てグーグルに至ったのは、2003年4月のことです。

 最終面接の相手は、2001年から2011年までの10年間にわたりCEOを務めたエリック・シュミット。面接会場は、米カリフォルニア州・マウンテンビューにある本社オフィスでした。

 面接に来た旨をエリックのセクレタリ(秘書)に伝えると、「いまエリックは席を外しているから、部屋に入って待っていてね」とのこと。じゃあ、この隙にトイレに行っておこうと用を足しに行くと、なんとすぐ隣で用を足していたのがエリックでした。

 「ああ、君がNorioか」と、トイレで面接がスタートしたわけです(笑)。

 面接のことはほとんど覚えていませんが、ひとつだけ覚えていることがあって。それは、「何か質問はあるか」と問われて、「なぜ、私なのでしょうか?」と尋ねたところ、「AI(人工知能)の経験があるからだ」と回答されたことです。

 31歳のときにDEC日本法人に入社して、37歳のときにDEC米国ボストン本社の人工知能技術センター勤務となり、米国に渡りました。マシンラーニング(機械学習)を取り入れ、統計/探索モデルによって最適解を発見するディープラーニングという考え方はまだなく、「if-thenルールベース」の「知識ベースシステム」=「エキスパートシステム」といった「第2世代」のAIでした。でも、この経験が私をグーグルに導いたわけです。

 DEC日本法人に在籍していた当時は、ちょうど米国防総省の国防高等研究計画局(DARPA)がAIのプロジェクトに積極的に取り組んでいて、その研究にはDECのコンピュータが使用されていました。

 日本でも、1982年にAIに関するプロジェクト「第五世代コンピュータープロジェクト」がスタートし、そこでもDECのコンピュータが使われることになりました。せっかくDECにいるならと自ら手を挙げて、そのプロジェクトに担当になったのです。やりたいと言えば、挑戦させてもらえる。それが、外資系企業の良いところです。



 さて、グーグルの最終面接に話を戻します。先ほど言ったとおり、私が携わったのは主に第2世代のAIでしたから、最新の技術については知らないことも多々ありました。だから面接でも、そのことを正直に話したのです。

 すると、シュミットは「実を言うと、私も知らないんだ」と。そして、こう続けました――「でも、少なくともお前は『わかったフリ』ができるだろう?」。グーグルはエンジニアが中心の会社ですから、上に立つ人間は、技術に関する知識がないことにはどうしてもリスペクトを得られません。

 そうした中、さもすべて分かっているかのように話す私は、求める人材像に合致していたようです。その回答に驚きつつ「まあ、フリくらいはできるか……」と納得して、入社が決まりました。

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