マーケターズロード山口有希子 #03
CMOを志した瞬間──ヤフーからIBMへ、マーケティングを経営の力に【パナソニック コネクト山口有希子氏】
2025/06/24
パナソニック コネクトの取締役 兼 CMOとして、経営とマーケティングの両面から事業を牽引する山口有希子氏。日本IBMやシスコシステムズ、ヤフージャパンなど複数の企業で、マーケティングの戦略立案から実行、組織マネジメントに至るまで幅広い経験を積んできた。
転職先企業の突然の買収や思いがけないチャンスの到来など、キャリアには予測不能な出来事がつきものだ。そうした変化をどう乗り越え、成果へとつなげてきたのか。
トップマーケターの歩みに迫る連載「マーケターズ・ロード」。第3回では、ヤフーでの事業統合と、IBMでのマーケティング改革を経て、山口氏がCMOを志すに至った決意と、その裏にある思考をひもとく。
転職先企業の突然の買収や思いがけないチャンスの到来など、キャリアには予測不能な出来事がつきものだ。そうした変化をどう乗り越え、成果へとつなげてきたのか。
トップマーケターの歩みに迫る連載「マーケターズ・ロード」。第3回では、ヤフーでの事業統合と、IBMでのマーケティング改革を経て、山口氏がCMOを志すに至った決意と、その裏にある思考をひもとく。
統合後の組織を支えながら、CMOを意識するように
―― (第2回はこちら)シスコシステムズから次に転職されたのは、オーバーチュアでした。
オーバーチュアも、先に転職していた先輩に誘われて移りました。ありがたいことに、30代以降の転職はすべて、人に声を掛けていただいたことがきっかけです。
人生は不思議なもので、最初の外資系への転職のときも「私には外資系の方が合っているのかもしれない」と思っていたら声をかけていただきました。何かを志向していると、自然とそういう方向の機会がやってくるんです。
オーバーチュアは、PR&Marcomのチームを立ち上げたいから来てほしいと言われました。私自身も、この先どうしようかと考えていたタイミングだったので、「業界は少し違うけれど、行ってみよう」と思って移りました。そうしたら、数カ月後にオーバーチュアがヤフージャパンに買収されたんです。
それを機に、役員も含めて多くの人が退職しました。結果的に約200人の組織に対して、本部長レベルが数人しか残らなかったので、私はそう簡単には辞められないと思って、そこから5年ほど勤めました。
外資系とヤフージャパンでは企業カルチャーが大きく違ったので、その統合のプロセスも学びになりました。

パナソニック コネクト 取締役 執行役員 SVP CMO DEI推進・カルチャー&マインド改革推進担当
山口有希子
パナソニックの企業向けソリューションビジネスを担うパナソニック コネクト(売上高約1兆2千億円、社員数約3万人)の 取締役 兼 デザイン&マーケティング部門責任者として、ビジネスと企業カルチャーの改革に取り組む。 また、DEI推進担当役員として、ジェンダーダイバーシティ等の取り組みを強力に推進している。日本IBM、シスコシステムズ、ヤフージャパン(現LINEヤフー)など、国内外の複数の企業にてマーケティング部門管理職を歴任。
山口有希子
パナソニックの企業向けソリューションビジネスを担うパナソニック コネクト(売上高約1兆2千億円、社員数約3万人)の 取締役 兼 デザイン&マーケティング部門責任者として、ビジネスと企業カルチャーの改革に取り組む。 また、DEI推進担当役員として、ジェンダーダイバーシティ等の取り組みを強力に推進している。日本IBM、シスコシステムズ、ヤフージャパン(現LINEヤフー)など、国内外の複数の企業にてマーケティング部門管理職を歴任。
―― 具体的には、どのような業務を担当していたのでしょうか。
統合されたばかりの頃は、オーバーチュアの検索連動型広告について、PRやオンラインセールス部門も含めたマーケティング活動を担当していました。
そこから、バナー広告なども含めた広告全体を見るようになり、さらにBtoB企業向けのソリューションのマーケティングも見るようになるなど、どんどん管轄範囲が広がっていき、最終的にはBtoB事業のマーケティング全般を管轄しました。ヤフーは商品そのものがマーケティングソリューションなので、デジタル広告などに関する知見が深まりましたね。
一方で、その頃から私はCMOの道を明確に意識するようになり、次はもっと経営に近いマーケティングを経験したいと思うようになりました。ただ、そこにたどり着くには、今の自分とは違う知見や経験を持っていなければならないだろうと考えていましたが、忙しい毎日で次のキャリアに向けた準備はできずにいました。
そんなとき、日本IBMでCMOを務めていた米国人の方から「来ないか」と声が掛かりました。始まりは、マーケティングイベントでたまたま新しいマーケティングリーダーを探していた彼に、私を紹介してくれた人がいて、その会場で顔を合わせたこと。
そのとき、私はマーケティングの専門書を持っていて、「こういう勉強をしています」と話したことを覚えています。その後、個別に面談をし、さらに半年間ほどアプローチしていただきました。「CMOになるためには、もっと勉強しなければいけない。BtoBマーケティングで世界的にレベルが高い企業はどこだろう」と考えると、新しい市場を創るブランディングも含めてレベルが高いIBMでの機会は掴むべきだと判断し、転職を決めました。
ちょうど大仕事を終えるタイミングでしたので、その仕事が成功裏に終わったその日に上司に辞表を提出しました。
―― どのような流れでCMOへの道を意識するようになったのですか。
若い頃からCMOに憧れがありましたが、私がなれるわけないと思っていましたし、口に出すのも大それたことで恥ずかしいと思っていました。
でも、マーケティングの仕事に長年携わるにつれ、意味のある仕事をするためにも、決断をする立場にいたいという思いが募り、徐々にCMOを意識するようになりました。
マーケティングは、ビジネスの状況が悪くなれば、予算がすぐにカットされてしまう傾向がありますが、そうした場合の判断も自ら下したいと思ったのです。 経営状況を鑑み、どういうマーケティング活動をすべきか、そのプライオリティはどうあるべきか。マーケティングの専門職として、経営責任を持って判断できる立場になることが重要だと考えるようになりました。