「広告維新伝」 広告人生43年とインターネット広告30年史 #04
広告維新伝【第4回】営業は「ビジネスのクリエイター」だ ー アナログ広告屋スタート
2026/03/31
広告業界の激動の半世紀を、現場の第一線で見つめ続けてきた横山隆治氏が綴る「広告維新伝」。マス広告の黄金期からインターネット広告の勃興、そしてAIがつくる新時代までを、「ネット広告事始め」篇~「横山青年立志」篇~「上場と闘争」篇~「知の継承」篇の大きく4篇(予定)に分けて振り返る。現在の広告界の礎を築いた伝説的人物たちとの間で交わされた会話や、急成長を遂げた業界内での熾烈な競争、試行錯誤の現場で生まれた数々のエピソードなど、広告の裏側と人間ドラマを鮮やかに描き出す。
本連載は、横山氏の43年の広告人生と、30年にわたるネット広告の歩みを通して、日本の広告の「始まり」と「進化」を追体験する試み。これからの業界をつくり上げていく現代のアドパーソン・マーケティングパーソンの仕事にも活きる学び・気づきに満ちた軌跡を辿る。
前回までの「ネット広告事始め」篇に続いて、今回からは「横山青年立志」篇がスタート。「アドパーソン」の枠に収まらない横山隆治氏が「どうつくられたか?」を、多種多様なエピソードを通じて振り返ることを通じて、現代のアドパーソン・マーケターが自身の“可動域”=仕事の幅を広げていくためのヒントを探る。
本連載は、横山氏の43年の広告人生と、30年にわたるネット広告の歩みを通して、日本の広告の「始まり」と「進化」を追体験する試み。これからの業界をつくり上げていく現代のアドパーソン・マーケティングパーソンの仕事にも活きる学び・気づきに満ちた軌跡を辿る。
前回までの「ネット広告事始め」篇に続いて、今回からは「横山青年立志」篇がスタート。「アドパーソン」の枠に収まらない横山隆治氏が「どうつくられたか?」を、多種多様なエピソードを通じて振り返ることを通じて、現代のアドパーソン・マーケターが自身の“可動域”=仕事の幅を広げていくためのヒントを探る。
旭通信社の面接で語った「CMの音をどうつくるべきか」
1982年の4月、旭通信社の入社式に臨んだ僕は、稲垣正夫社長の話をひとつも聞き漏らすまいとしていた。最も印象的だったのは「清濁併せ吞む」というフレーズだ。もちろん社会に出れば、当然そういう環境に置かれる。企業の一員としては、青い正義感を主張するつもりはない。ただ広告代理店の実務で起きる「濁」ってなんだろう。まあその後、「なるほどこういうことね」ということは何度も起きる。
稲垣正夫(いながき・まさお)氏 ※第1回にも登場
外務省勤務を経て、1956年に社員わずか4人で旭通信社を創業。 日本広告業協会副理事長、日本広告業厚生年金基金理事長などを歴任。
外務省勤務を経て、1956年に社員わずか4人で旭通信社を創業。 日本広告業協会副理事長、日本広告業厚生年金基金理事長などを歴任。
そもそも僕が旭通信社を受けることになったのは、数は少ないが非常にいいクリエイティブを世に出していたからだ。僕が入社した頃は、パイオニアの「ロンサムカーボーイ」や、オリンパスの「カワセミ」など、素晴らしいCMやグラフィックをつくっていた。
1970年代末~80年代初頭にパイオニアが展開したコンポーネント・カーステレオ(自動車用音響機器)「ロンサムカーボーイ」のCM ※生成AIで作成それもあって、僕は旭通信社のクリエイティブ試験を受けた。クリエイティブ試験は、面接とCM絵コンテの作成。面接は、部屋に置いてある花瓶を見て「ストーリーを語れ」みたいなものだった。学生バンドでシングルレコードをつくって700枚プレスして売り切ったことや、CMにエッジの立ったサウンドが足りないことも語った。
デジタルガレージの創業メンバーの厚川欣也君と僕は、青山学院大学入学時にすぐ知り合ってバンドを組む。彼はベースで、僕はギターとボーカル。もちろん最初はコピーバンドだったが、オリジナルを書いてドーナツ盤のシングルレコードをつくる。
厚川欣也(あつかわ・きんや)氏 ※第3回にも登場
デジタルガレージの前身となったセールスプロモーション会社・フロムガレージの創業メンバーの一人。デジタルガレージでは、グループCEO室 エグゼクティブプロデューサーなどを務める。
デジタルガレージの前身となったセールスプロモーション会社・フロムガレージの創業メンバーの一人。デジタルガレージでは、グループCEO室 エグゼクティブプロデューサーなどを務める。
当時下北沢には、五番街やディスクユニオンといったレコード店があって、奥のほうに自主レコード盤コーナーというのがあった。まだインディーズなどという言葉もない時代だ。幅1メートルに満たないコーナーに、ぎっしりシングル盤が詰まっていた。
僕らはまず5枚くらいレコードを持って行き、店長に置いてもらえるよう交渉する。売れたらその代金を後から回収に行く。置いてもらえたら、サクラを使って買いに行かせる。数週間したらお店に行って「どうでした?売れてます?」、当然少しは売れているので「少し売れたみたいだな。もう少し置いていってよ」となる。
こうすると、本当に売れ出すようになる。自主レコード盤マニアがいて、店長にどれが売れているか尋ねるからだ。そういうわけで親戚縁者、友だち、教授などなどに売りつけただけでなく、レコード店でも売りきったことを面接で長々と語った。どうやって口コミを創造するか、売り場を味方につけるかを滔々と語ったのだ。
僕が面接官なら、こんな生意気な奴はすぐに落とす。当時の旭通信社 制作局の幹部がオトナでよかった。
その上で、僕はよせばいいのに、CMの音をどうつくるべきかまで語った記憶がある。ギターで音づくりをしていたので、持論があった。最初に不協和音というか、ちょっと気持ち良くない音を与えておいて、普通の和音に戻すだけで、気持ちよく聴こえるというものだ。あえてマイナスにしておいてゼロに戻すだけで気持ちよく聴こえる。その法則をCMにも使えば?という、プロに向かって小僧が説教垂れているようなもので、今考えると顔から火が出そうだ。




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