「広告維新伝」 広告人生43年とインターネット広告30年史 #04

広告維新伝【第4回】営業は「ビジネスのクリエイター」だ ー アナログ広告屋スタート

 

営業はビジネスのクリエイター

 そんな生意気な学生も、この後の一般試験を無事合格して晴れて入社できるのだが、なんと配属は営業となる。

 最初はがっかりした。そもそも営業って何をやるのか。泥臭い役回りばかりで、クリエイティビティは発揮できないのではないか。そんな思いだった。しかし、もしこの時すぐクリエイティブに配属されていたら、その後は全く変わっていただろう。30代で才能が枯渇して、みじめなクリエイターになった可能性が高い。

 営業になると、ビジネスの最初から最後まで携わることになる。入金確認までして、一連の仕事が終わる。始まりに関しては、いろんな入口が想定できる。正攻法でプレゼンテーションをさせてもらうことのほうが稀なので、平場の営業活動から何かしらの「とっかかり」をつくり出す。クライアントの欲しがる情報、価値ある情報は何かーーアンテナを張って、どうやったら入手できるかを探る。クライアントの担当者や決裁権者に関する情報は、出身大学だけでなく出身高校まで頭に入れておく。

 社内のリソースだけでなく、個人的な社外ネットワークを常につくる。電通や博報堂のように社内リソースに恵まれてはいなかったので、その意識はかなり強く持っていた。「ここかな?」と思った人に目をつけたら、綱引きのように、その先その先と引っ張っていく。人の輪は、満遍なく広げてもだめだ。価値ある人は、必ず価値ある人と繋がっている。

 とにかく営業というのは「ビジネスのクリエイター」だ。自分で仕事をつくって、スタッフを引きずり回す。電通の「鬼十則」のごとく。そして、やってみるとこんなに面白いものはない。営業といっても、広告の営業は売り物を自分でつくれるからだ。

 さて、営業となった僕は、まずは広告素材の送稿が仕事となる。新聞は鉛でできた凸版、雑誌は版下、テレビは16mmのフイルム、ラジオは磁気テープだ。

 雑誌原稿の版下送稿には、面白い思い出がある。学生時代のバンドで原宿の「クロコダイル」に出演したことがあるのだが、その時に楽屋に音楽誌「ロッキング・オン」の人がデモテープをくれないかと訪ねてきた。名刺をもらって後日送る約束をしたのだが、僕はそのまま送るのを忘れていた。そして旭通信社に入社して数年、同じ部の先輩に「ロッキング・オンの人が原稿を取りに来るから渡して」と版下を預かった。で、原稿を受け取りに来たのが、あのクロコダイルの楽屋に訪ねてきた人だった。

 版下というのは何とも手作り感満載だ(もちろん、印刷物はすべて、原稿は版下だった)。当時の旭通信社はSP(セールスプロモーション)の仕事が多かったので、印刷物に関しては得意分野だ。親指と人差し指でつまむだけで「〇〇キロの紙」とすぐ分かるようになる。昔からの広告素材が、僕の入社時にはそのまま残っていた。

 面白いのは、テレビスポット用に入稿するフイルム(黄色いリール)は、本来は放送局に1本入れればいいはずだが、いわゆるバンク設備が整っていない局には、スポットが一番多く入る1日の、その本数が必要だった。その昔、一日に流すフイルムをすべて繋げていた名残なのだが、そのために膨大なフイルムが要る。ローカル局を10局も扱ったら、送稿するフイルムは100本以上にもなる。このフイルムのプリント代でCMプロダクションは食っていた。

 また製版所などの零細企業を守るために、朝日、読売、毎日と同じ全5段広告でも微妙にサイズが違っていて流用が効かないようになっていたり、不思議なことは多かった。

 いずれにしても、広告代理店には物理的に広告素材をメディアに入稿する役目があった。僕の時代には、その素材送稿形態が残っていた。今のデジタル送稿とは違う、実に古典的な原稿素材に囲まれていたのだ。
 

アニメに特化した旭通信社 番組提供+商品化権をセット売り

 広告代理店はメディアの枠を買い切って、独占的に販売することも多い。クライアントの代理とメディアの代理の狭間にある存在と言える。

 メディアの買い切りということでは、旭通信社はアニメ枠を買い切って売る。独占するのはいいが、売れなければ赤字だ。毎週水曜日朝に販売会議があり、「まだここの枠が売れてない」と、いつも緊迫感のある会議だったのを覚えている。

 アニメの買い切り番組ということでは、旭通信社には独特なビジネスモデルがあった。そもそも『エイトマン』や『スーパージェッター』から始まって、『巨人の星』『キャンディ・キャンディ』など多くのアニメ番組を企画して世に送り出してきた旭通信社だが、『マジンガーZ』から番組提供企業がキャラクターの商品化権を得る条件にするようになる。

 社長室には、1m30cmくらいのマジンガーZのフィギュアがあった(第1回で前述したように、稲垣社長は社長室に入らないで大部屋にいるので、社長室はオーディションルームと化していた)のは象徴的だった。

 僕が入社当時、旭通信社で社長賞を取った社員は一人だけで、春日さんというラジオテレビ企画室の室長だった。「巨人の星」などを企画した人で、ピンク色のネクタイに骸骨のネクタイピンをしている、ひときわ異彩を放つ人だ。この人とエレベータで一緒になった時に、のちの家内と「春日さんが今まで関わったアニメで一番好きなのは?」と尋ねた。返事は『キャンディ・キャンディ』だった。
 
春日 東(かすが・あずま)氏
 かつてADK(旧・旭通信社)で多くのアニメ作品の企画やプロデュースを手掛けた人物。特に1970年代後半から1980年代にかけて、東映動画(現・東映アニメーション)が制作し、朝日放送(ABC)が放送したテレビアニメ作品の多くに、「企画」や「プロデューサー」としてクレジットされる。

 前述した「メディアの代理か、クライアントの代理か」の議論でいうと、僕が入社した時、メディア部門、つまり新聞・雑誌・テレビ・ラジオは「連絡局」という名称だった。しかし、その当時電通は営業のことを「連絡」と呼んでいた。

 電通は、メディアの枠を買い切ってくるのが主体で、それを売ってくるのが手足。それ以外の代理店は、クライアントから受注してくるのが主体で、メディアの枠を仕入れにいくのが手足。電通は巨大なメディアレップ、それ以外はクライアントレップ。まあ、そんな感じだった。

 だから旭通信社はアニメに特化した。クライアントは玩具メーカーなどに限られてくるが、買い切り枠で旭通信社からしか買えない。そして前述したように、キャラクターの商品化権と番組提供をバーターとする。だから、商品化権が欲しいクライアントとは一緒に商品開発をするスタンスだ。

 そんな中、僕は入社して数年で、『Dr.スランプ』から『ドラゴンボール』への企画変更に携わる。(つづく)
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