「広告維新伝」 広告人生43年とインターネット広告30年史 #05
広告維新伝【第5回】シルバニアファミリー誕生の裏側
2026/04/14
広告業界の激動の半世紀を、現場の第一線で見つめ続けてきた横山隆治氏が綴る「広告維新伝」。マス広告の黄金期からインターネット広告の勃興、そしてAIがつくる新時代までを、「ネット広告事始め」篇~「横山青年立志」篇~「上場と闘争」篇~「知の継承」篇の大きく4篇(予定)に分けて振り返る。現在の広告界の礎を築いた伝説的人物たちとの間で交わされた会話や、急成長を遂げた業界内での熾烈な競争、試行錯誤の現場で生まれた数々のエピソードなど、広告の裏側と人間ドラマを鮮やかに描き出す。
本連載は、横山氏の43年の広告人生と、30年にわたるネット広告の歩みを通して、日本の広告の「始まり」と「進化」を追体験する試み。これからの業界をつくり上げていく現代のアドパーソン・マーケティングパーソンの仕事にも活きる学び・気づきに満ちた軌跡を辿る。
前回スタートした「横山青年立志」篇で旭通信社に入社し、営業から広告業界でのキャリアをスタートした横山氏。今回も、「アドパーソン」の枠に収まらない横山氏が「どうつくられたか?」を、多種多様なエピソードを通じて振り返ることを通じて、現代のアドパーソン・マーケターが自身の“可動域”=仕事の幅を広げていくためのヒントを探る。
本連載は、横山氏の43年の広告人生と、30年にわたるネット広告の歩みを通して、日本の広告の「始まり」と「進化」を追体験する試み。これからの業界をつくり上げていく現代のアドパーソン・マーケティングパーソンの仕事にも活きる学び・気づきに満ちた軌跡を辿る。
前回スタートした「横山青年立志」篇で旭通信社に入社し、営業から広告業界でのキャリアをスタートした横山氏。今回も、「アドパーソン」の枠に収まらない横山氏が「どうつくられたか?」を、多種多様なエピソードを通じて振り返ることを通じて、現代のアドパーソン・マーケターが自身の“可動域”=仕事の幅を広げていくためのヒントを探る。
「たいへん申し訳ないのですが、番組を降りてください」
旭通信社に入社してまもなく、僕は『Dr.スランプ』から『ドラゴンボール』への企画変更の渦中に放り込まれる。玩具メーカー・エポック社の担当になった僕は、『Dr.スランプ』を提供してもらうことになる。
『Dr.スランプ』は放送開始当初からバンダイが提供し、キャラクター商品もあらかた発売し終わって「出涸らし」状態になり、バンダイは提供を降りてしまう。そこで、エポック社が提供することになるが、それは『Dr.スランプ』というより、次の鳥山明先生の企画に最初から乗りたかったからだ。
ところが『ドラゴンボール』が始まると、旭通信社は提供企業にバンダイを選んだ。得意先としての規模が全然違うし、会社としては当然の判断なのだが、エポック社担当としては、提供してもらっているクライアントに「申し訳ないのですが、降りてください」と言わなければならない。いち営業パーソンとしてはとても辛い経験をした。
「ハイテックよりハイタッチ」そして「ベストセラーよりロングセラー」
ただ、クライアントと一緒に、キャラクターの商品化に携わるという面白い経験もできた。ある時エポック社に、とある業者さんが、ビニールのような素材に非常に密な植毛をする技術を持ち込んだ。毛を短くカットしても手触りがとてもいい。
これを使って、エポック社の商品開発部の若い女性陣がつくったのが「シルバニアファミリー」だ。デフォルメ加減がちょうどいいというか、これまでにもあったようななかったような、普通といえば普通な……でもどこか小さな女の子のハートを射抜く、不思議な商品ができた。
生成AIで作成せっかく出来上がった「シルバニアファミリー」だが、上司のおじさんたちは商品化に「NO」を出した。「こんなの売れない」と言う。とはいえ開発の現場は、何としても日の目を見ることを熱望していた。そこで、社長プレゼンをすることになり、開発グループの支援に回っていた僕がなぜかプレゼンすることになる。
当時エポック社は、任天堂のファミコンのヒットに続けと、家庭用ゲーム機「スーパーカセットビジョン」を出していたが、いいソフトがないので当然だが売れなかった。
そんな背景もあって、僕がプレゼンに用いたのはボード2枚。一枚目には「ハイテックよりハイタッチ」。ハイテックは、もちろんテレビゲームを意味している。ハイタッチは、手ざわり、ぬくもりのある女玩(女の子のための玩具)。そもそも玩具の役割は情操を育むものであり、玩具メーカーの本来の使命はそこにある。
そして二枚目のボードには「ベストセラーよりロングセラー」。たしか「このおもちゃを買ってもらった女の子が、お母さんになって娘が生まれたら、同じものを買い与えてあげようとするまでのストーリーをつくりましょう」と話した。
このプレゼンには、後に旭通信社の社長になった、第2回で前述した多氣田 力さんが上司として同行してくれていた。帰りに喫茶店で「横山くんはプレゼンうまいなあ」と褒められた記憶がある。
多氣田 力(たけだ・つとむ) 氏 ※第2回にも登場
1961年に旭通信社に入社、1996年に代表取締役社長に就任。1999年に旭通信社と第一企画が合併してアサツー ディ・ケイに社名変更したが、引き続き代表取締役社長を務めた。2001年に取締役相談役となり、2003年3月に退任。2017年に80歳で逝去。
1961年に旭通信社に入社、1996年に代表取締役社長に就任。1999年に旭通信社と第一企画が合併してアサツー ディ・ケイに社名変更したが、引き続き代表取締役社長を務めた。2001年に取締役相談役となり、2003年3月に退任。2017年に80歳で逝去。




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