「広告維新伝」 広告人生43年とインターネット広告30年史 #05

広告維新伝【第5回】シルバニアファミリー誕生の裏側

CMから商品開発、店頭ディスプレイまで…クライアントの一員となって奔走

 プレゼンは功を奏し、かくして「シルバニアファミリー」は発売されることになる。当然CMは旭通信社でつくることになった。担当営業として思い入れがあったので、CM制作現場にもベッタリついていた。

 CMはよくあるストップモーションアニメで、人形を少し動かしてシャッターを切り、また少し動かして撮るという、昔ながらのアニメーションだ。味わいのある、いい出来上がりを期待していた。

 ところが撮影中に地震があって、人形が動いてしまった。制作してくれているアニメーションの職人さんたちは「最初からやり直させてくれ」という。しかし、ギリギリのスケジュールで進行しているので、そうなると〇月〇日の『ドラえもん』提供枠への入稿が間に合わない。僕は「つなぎ目など分からない」と言うのだが、アニメーターたちには彼らの仕事の矜持があって、「これでは出せないから」と頭を下げられてしまう。

  仕方がないので、「CM部」という素材入稿部門に、「放送日前日には入れるので、何とかしてくれ」と頼みに行った。ところがCM部にはYさんという先輩の女性がいて、「何言ってるの、素材入稿は中3日と決まっているでしょ!間に合わないなら旧素材にしなさい!」とけんもほろろだ。

 広告代理店の営業というのは、何かと間に挟まって苦労するのが商売みたいなものだが、この時はまだ若かったし、アニメーターさんたちの熱意に何とか応えなきゃと必死にあれこれ考えた。そこで情報収集すると、Yさんはローリング・ストーンズの大ファンだということを突き止めた。俳優の松金よね子さんが親友で、二人でロンドンまでストーンズの公演を観に行っていた(日本公演が行われるずっと前の話だ)。

 この情報は、ちょっとしたアイデアを生む。実は、僕もストーンズのアルバムは主立ったものは持っていて、その中に非常にレアな海賊盤があった。おそらく下北沢の五番街で仕入れた、普通は手に入らない逸品。これをYさんのところに持って行った。

僕「Yさん、これ持ってます?」
Yさん「何よこれ、ちょっと見せないさいよ。これって・・・!」
僕「Yさん、これお譲りしますので何とかなりませんか?」

 大ファンである自分も持っていない品に、Yさんはびっくりしていた。この「買収」というか、「袖の下」というか、この作戦はYさんを揺さぶった(ああ、稲垣さんのいう「清濁併せ吞む」の「濁」は社内営業でもあるんだ、と思った)。

 これを期にYさんとはすごく仲良くなって、後にローリングストーンズが来日する時はチケットを交換したり、融通し合ったりした。もちろん彼女は、その海賊盤LPを受け取らなかった。

 そしてこの時は秘密裏に、そして本当に特別に前日入稿が許された。「なんだ、前の日でも大丈夫じゃないか」なんて言ったらたいへんなことになる。「あんた、絶対に誰にも言うんじゃないわよ!」ということで、シルバニアファミリーの新発売CMは無事に『ドラえもん』の提供枠で放送された。

 この後、僕は会社のすぐそばにある博品館(銀座にある玩具専門店)にディスプレイしたシルバニアファミリーの売り場にベッタリ貼りついていた。もちろん売り場には「ディスプレイにも立ち会っている広告代理店の人」ということで怪しまれるということはなかったが、あまりにも長時間貼りついているので「お仕事は大丈夫ですか?」と呆れられるほどだった。

 ただ、この時ほど楽しい時間はなかったように思う。自分が支援して日の目を見た商品が売り場に置かれている。そこに小さなお嬢さんが駆け寄ってきて、親御さんに「買って、買って!」とねだる。買わされるほうの反応も様々で面白い。 「ああ、あのCMを見て来たんだよな」「あれが放送されるまでは苦労したけど、こんなに買って、買ってと言ってくれるんだ」…… 自分の仕事を本当に楽しく感じていた。


生成AIで作成


 残業時間など計算したところで出ない時代だったので、まったく気にしなかった。(ちなみに、この頃の旭通信社は、残業代は出ないが、夜食に出前を取っていいことになっていた。笑)

 そして、クライアントの一員になって商品開発に関わったこの時の経験は、その後いろいろな場面で生かされることとなる。(つづく)
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