「広告維新伝」 広告人生43年とインターネット広告30年史 #8

広告維新伝【第8回】マイケル・ジャクソン黄金期に経験した音楽の仕事

 

「ハイネケン・シティ・ライブ・ツアー」で感じた、クライアントに喜んでもらえることの喜び


 もうひとつの音楽の仕事は、「ハイネケン・シティ・ライブ・ツアー」の企画運営だ。

 当時キリンビールさんは取手工場でハイネケンをライセンス生産していて、販売も当然キリンさんだった。

 ハイネケンはご存じの通りオランダのビール。グリーンのボトルが特徴で、バブル期はバドワイザーとハイネケンは二大外国ビール、何でも海外ものがお洒落ということで、ビール本体のみならずこれらのブランドグッズがあふれていた。ちなみにボトルがグリーンなのは日差しが弱い北ヨーロッパだからで、本当は茶色の瓶でないと紫外線など日光でビールはすぐ傷む。

 そのハイネケンを、当時都心にたくさんできていたライブハウスに入れていこうというのが「ハイネケン・シティ・ライブ・ツアー」の目的。キリンさんがお金を出して外国ミュージシャンをブッキングするので、ハイネケンを入れてもらう。当然集まるファンへのサンプリング効果を狙っている。
   
生成AIで作成

 で、ここからが「ハイネケン・シティ・ライブ・ツアー」の面白い趣旨なのだが、「キリンさんがブッキングしないと(通常ではペイしないので)呼んで来られないミュージシャンを連れて来る」という、マニアには有難いライブイベントなのだ。

 第一回こそサラ・ヴォーンという大物を招いたものの、その後はドクター・ジョンやネヴィル・ブラザーズといった南部系のギタリストなど、より通好みの顔ぶれが続いた。プロモーターが自分の趣味でアーティストを呼べるのをとても喜んでいたので、「これはあんたのためじゃないからね」と何度も釘を刺していた。

 営業である僕には全国を回って立ち合う時間がないので、ほとんどアサツーのSP部のK氏が運営していてくれた。ただ会場が東京であれば、ほとんど出向いていた。

 このライブツアーは日本のファンのみならず、来日中の外国のアーティストやタレントにも好評で、ブルーズ・ホーンズビーを呼んで表参道の会場でライブを行った時は、来日中のヒューイ・ルイスが一同を連れて来て、僕もちゃっかりサインをもらってしまった。

 この話でいうと、「ハイネケン・シティ・ライブ・ツアー」最終回のマーカス・ミラーがインクスティック芝浦で行われた時(1989年1月28日の土曜日)、来日中のマイルス・デイビスとデビッド・サンボーンが観に来るという情報がマーカスのマネージャーに入ってきた。

 この時の僕のクライアントさんでアメリカンミュージックアワード担当のKさんは大のジャズファンであり、マイルスの信奉者であった。

「これはたいへんだ。何とかマイルスに会っていただいて、サインをもらわなければ」携帯がない時代、しかも休みの土曜日に連絡を取るのはたいへんだった。そもそも自宅の電話番号までは知らない。今でこそ個人情報だから伏せられるのが普通だろうが、「代理店の担当は、クライアントさんの自宅の電話番号くらいは教えてもらっていないとだめ」という時代。

 何とか連絡をつけねばと、電話番号を教えてもらっていた宣伝部の他の方に電話をして、「どうにか引き合わせたい」と話すとすぐ教えてくれた。Kさん宅に電話をすると奥様がお出になって、Kさんは近所の打ちっぱなしに行っているという。連絡先をお伝えして、じっと待っていたが、電話がかかってくるまでずいぶん時間がかかった。

 じっと待っている間が長く感じていた。状況をお伝えできるとすぐ芝浦まで来ていただいた。とにかく打ちっぱなしで良かった。おかげで、マーカスのマネージャーを通じてマイルスにサインももらうことができた。Kさんは本当に喜んでくれた。

 広告ビジネスは、B2Cであれば広告活動を通じて消費者に行動の変容を促すことを目的に行うわけだが、そこはクライアントさんありきの仕事だ。目の前のクライアントさんに喜んでもらえることが、営業としてまずは何よりの喜びなのだ。

 仕事の素材は音楽で一見格好いいが、本質はそこではない。

 お金を出してもらっているクライアントさんに仕事を通じて嬉しい思いをしてもらうこと。それを一番の喜びとできると、本当に仕事が楽しくなる。広告代理店の営業には、そうしたことを実現できる素材がたくさんある。こんな環境に身を置けることを、幸せに思う。
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