ほろ酔いマーケティング談義 Tipsy Tips for Marketers #05

「テレビCM崩壊、せず」事実を冷静に見つめる目が必要 平成のマーケティングトピック その1

前回の記事:
もし自社の商品が突然、違法になったら? 禁酒法時代に学ぶ「不確実な時代」のサバイバル術
 8月にBackstageというイベントのパネルディスカッションに登壇しました。テーマは「こんにちは令和。平成時代を振り返り未来につなげる」というもので、私とインテージの小金悦美さん、コメ兵の藤原義昭さんの3人がパネルで、モデレーターがこの連載の担当編集者でもあるナノベーションの陰山祐一さんというメンツでした。

 事前のお題として4人全員がそれぞれの考える「平成における3大マーケティングトピック」をあげて、そこを起点にディスカッションする建付けでした。当日はあらかじめ準備したお題だけでなく、ライブアンケートシステムで会場から投稿される質問にも随時答えたり、柔軟な構成で短い時間でしたがさまざまなトピックを4人でカバーできたと思います。



 とはいえ、話しきれなかったこともたくさんあるので、この場を借りて私があげた平成の3大マーケティングテーマを紹介していきたいと思います。まず今週は、1つ目としてあげた「テレビCM、崩壊せず」です。
 

私のキャリアの原点、博報堂第三制作局CMプラナー

 私が今回1つめのトピックとして選んだのは、テレビCMでした。平成4年、1992年に新卒で広告会社博報堂に入社した私は、第三制作局柴田グループに「CMプラナー」として配属されました。

 博報堂はなぜか「CMプランナー」ではなく「CMプラナー」という呼称なのが伝統なので、ここでもCMプラナーと表記します。CMプラナー、あるいはCMプランナー(電通ではこちらの言い方ですね)は、海外においては広告クリエイティブの職種として一般的なタイトルではなく、日本独自に進化した、広告クリエイティブの中でもテレビCMに特化したプロフェッショナルの肩書です。
 
CMプラナー時代、撮影に立ち会っている時の私。撮影が深夜に及び、もう帰りたいなぁ、という気持ちが顔に出ている。私の左隣は社会人としての最初の上司であり広告クリエイティブの師匠である柴田常文CD。

 もっとも、自分が博報堂に入社するまで、CMプラナーという職業がこの世に存在することを私は知りませんでした。
 
 「以前付き合っていた恋人の結婚式に送る祝電を考えなさい」「私は鉛筆だ。で始まる400文字の作文を書きなさい」といったちょっと変わった「クリエイティブ適正テスト」なるものを新卒入社の同期120名全員とともに受け、その後の人事部との配属希望面接の場でそのクリエイティブ適正テストのスコアが高いと告げられた私は「じゃあ、せっかくなら」という軽い気持ちで制作局配属になりました。

 私が飛び込んだ平成初期、1990年代前半の広告業界は、インターネット広告が台頭するはるか前の時代で、クライアントへの提案と言えば、とにもかくにもテレビCMの企画案こそが最重要でした。前段となるマーケットの分析や戦略方針の説明のパートは居眠りをしていた宣伝部長もCMのプレゼンパートになるとガバっと起きだして前のめりになる、といった風景が一般的な時代でした。

 それは、キャンペーンの軸となる広告コピーをつくり、魅力的なタレントと音楽に乗せて、テレビCMのシャワーを電波に乗せて日本中に振りまくことで、生活者の消費行動に大きな影響をつくることができる、広告の骨格がシンプルな時代でもありました。

マーケターに役立つ最新情報をお知らせ

メールメールマガジン登録