パナソニック コネクトの取締役 兼 CMOとして、経営とマーケティングの両面から事業を牽引する山口有希子氏。日本IBMやシスコシステムズ、ヤフージャパンなど複数の企業で、マーケティングの戦略立案から実行、組織マネジメントに至るまで幅広い経験を積んできた。

 転職先企業の突然の買収や思いがけないチャンスの到来など、キャリアには予測不能な出来事がつきものだ。そうした変化を山口氏はどう乗り越え、成果へとつなげてきたのか。トップマーケターの歩みに迫る連載「マーケターズ・ロード」、第2回は山口氏が日系商社から外資系企業に転身した背景から、そこでの成果までを探る。
  
 

ヘッドハンティングを受け、外資系へ

――(第1回はこちら)メーカー系列の商社を退職して、次はどのような会社に転職されたのですか。

 次に転職したのは、アセンドコミュニケーションズという米国西海岸のベンチャー企業でした。きっかけは商社時代、たまたまブーススタッフとして参加した展示会でのこと。「この商品を説明してほしい」と英語で話しかけられて、商品を売ろうと、一生懸命に英語で説明していたところ、実はその人がヘッドハンターだったんです。

 私に声をかけたのは、英語が話せたからではないでしょうか。外資系のマーケティング担当者を探していたようで、英語がそれなりに話せるかをチェックしていたのだと思います。「外資系のこういう会社なんだけど、来ないか」と言われ、話を聞いてみたらおもしろそうな企業だったので、転職を決めました。

 日本企業では、キャリアの中でさまざまなことに挑戦しようとしても、「前例がない」という障壁や既存のルールに阻まれて思うように物事を進められないことが多く、私は外資系企業の方が合っているのではないかと考えていたことも、転職を決断した理由の一つでした。
 
パナソニック コネクト 取締役 執行役員 SVP CMO DEI推進・カルチャー&マインド改革推進担当
山口有希子

 パナソニックの企業向けソリューションビジネスを担うパナソニック コネクト(売上高約1兆2千億円、社員数約3万人)の 取締役 兼 デザイン&マーケティング部門責任者として、ビジネスと企業カルチャーの改革に取り組む。 また、DEI推進担当役員として、ジェンダーダイバーシティ等の取り組みを強力に推進している。日本IBM、シスコシステムズ、ヤフージャパン(現LINEヤフー)など、国内外の複数の企業にてマーケティング部門管理職を歴任。

―― アセンドコミュニケーションズは、どのような会社だったのでしょうか。

 その当時、アセンドコミュニケーションズはネットワーク業界で目覚ましく伸びているベンチャーでした。私は、その日本支社のマーケティングマネージャーとして採用されたのです。前職で、一連のマーケティングコミュニケーションを手掛けていたという点が評価されました。私が「マーケティング畑でキャリアを積む」と決めたのも、このタイミングでしたね。

 ところが、私が入社して1カ月で、アセンドコミュニケーションズがルーセントテクノロジーズに買収されました。さらに、あれよ、あれよという間に、副社長の指示で私がルーセントテクノロジーズのマーケティングのトップになってしまいました。

 入社して1年も経たないうち、しかも30歳手前で、いきなり六本木のオフィスで個室が与えられたんです。どうやら、私が手掛けたイベントがすごい成果を出したと思われたようです。リードがたくさん取れて、世界中で日本の成績が一番良かったんですよ。

 でも、それはベンチャー企業時代のイベントだったので、営業もスタッフも全員巻き込んで一緒に運営していたから、この成果は私個人の功績というわけではないんです。私がマーケティングのトップに指名されたのは、いろいろなことがたまたま重なった結果だったと思います。

 そんなときに、私生活では第一子を妊娠しました。産休に入ったのはいいのですが、そのタイミングで会社の業績が大きく下降して、産休中なのに人員整理を担当しなければならず、チームの50%を削減するという厳しい経験もしました。

「苦しいタイミングだな」と思いながら一生懸命に仕事に取り組んでいたら、私の状況を知った、別の会社に務めていたアセンドコミュニケーションズ時代の上司が「こっちに来ないか」と声を掛けてくれました。

 それがご縁で、産休後1カ月でシスコシステムズに転職しました。