RYUKYU note #15前編
“レトロ感”で女性ファンを獲得、コンビニで人気 沖縄発「スッパイマン」秘話
沖縄県は土地柄や歴史的背景に本土と大きな違いがあることから、ビジネスの進め方も従来の方法では、うまくいかないケースがあります。連載「RYUKYU note」では沖縄で活躍する経営者やマーケターをバトンリレー形式でインタビューし、そのサクセスストーリーの裏側にある秘話や、沖縄ならではの戦略や課題、未来に繋がるストーリーをひも解いていきます。
第15回は、沖縄を代表する人気菓子のひとつ「スッパイマン」を展開する上間菓子店 代表取締役社長の上間幸治氏が登場します。前編では、「おいしい笑顔がみたいから」というキーワードをもとに時代を超えて愛されるお菓子づくりに挑戦し続けてきた歩みと、スッパイマンというキャラクターの誕生秘話、女性ファンが多い理由などに迫りました。
第15回は、沖縄を代表する人気菓子のひとつ「スッパイマン」を展開する上間菓子店 代表取締役社長の上間幸治氏が登場します。前編では、「おいしい笑顔がみたいから」というキーワードをもとに時代を超えて愛されるお菓子づくりに挑戦し続けてきた歩みと、スッパイマンというキャラクターの誕生秘話、女性ファンが多い理由などに迫りました。
菓子卸業からメーカーへの転身
―― 上間菓子店の創業の経緯や乾燥梅を主力商品とした背景を教えてください。
上間 幸治 氏
上間菓子店は、1966年に菓子卸業として創業しました。当時は沖縄返還(1972年)前で、日本本土のお菓子を沖縄の小売店に卸していました。その後、沖縄が日本に復帰すると次々と本土から企業が進出してきました。その様子を見た創業者である私の父(上間信治)が、このまま問屋をしているだけでは「厳しい時代が来る」と考え、1981年に菓子製造業へ転身したのです。
もともと沖縄には、台湾や中国などから輸入した干し梅を食べる習慣がありました。当時は、まだ「熱中症対策」という言葉はありませんでしたが、暑い沖縄では自然と干し梅を食べていたのです。
ところが日本復帰後、海外から輸入していた干し梅に日本では使用できない甘味料が見つかり、輸入禁止になってしまいました。そこで、沖縄県民が安心して食べられる干し梅をつくろうと父が台湾にわたり、現地でつくり方や味付けなどを修行し、日本向けにアレンジした「スッパイマン」を1981年に販売開始しました。
小売業にも力を入れていますが、沖縄から全国の量販店にスッパイマンを中心とした乾燥梅の菓子を卸す事業が主力です。
――創業の背景には、沖縄ならではの歴史的背景があったのですね。
そうです。そもそも干し梅は沖縄以外に食べる習慣がなく、新しいマーケットをつくる必要があったため、当初は大変だったと聞いています。ただ、今では干し梅の商品化において先行しているので、競合商品は出づらいと考えています。