NO MONEY BUT LOVE. 意義ある地域案件に、クリエイティブはどう向き合うか。 #02
「何もなか」だった佐賀市がたった5年で、シティプロモーション先進都市になれた背景
2019/04/25
- シティプロモーション,
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5年前。はじめて訪れた佐賀市は市長の温かさと東京にないもので溢れていた。
2019年4月。5年に渡ってタッグを組んできた佐賀市役所秘書
彼女とは、もともと外資系エージェンシーの同僚で、クリエイターと戦略プランナーとして日々コンビを組んで、某外資系外食チェーンの広告表現を考えていた。その後、彼女は転職を重ね、震災をきっかけに地元の佐賀へとUターンし、市役所に勤めるようになった。
そんな彼女が6年ほど前に私を訪ねてきたのが佐賀市と私が付き合い始めたきっかけだ。秘書課の業務の一つに「市長によるトップセールス」があり、なかなか前に出たがらない佐賀市長を活用していろいろプロデュースしたいのだが相談に乗ってくれないか?という内容。市長の喋り方から記者会見のディレクションなど・・・と、それは
そこで佐賀市を訪問し、市長や市役所職員へ夕張市などのプロモーション事例を講演することになった。講演の最後に自主的に考えていった佐賀市のプロモーションアイデアを披露した。
「佐賀市の女子高生たちが前に出たがらない市長のキャラクターをプロデュースする」というアイデアを市長は穏やかな笑みを浮かべながら聞いてくれた。
決して派手さや力強さは感じないが、誰もを包み込む優しさと温かな人間味に溢れていた。このプレゼンが起点となり、数カ月後、佐賀市内の女子高生と市長が語る会が開かれた。女子高生が佐賀市の魅力を出しあってプロモーションを考え市長にプレゼンするというもの。私はこの会のファシリテイターとして参加し、女子高生たちと市長が語り合う時間を共有させてもらった。
その夜の会食で市長は、佐賀市は「何もなか」と思っていたけれど若い人や外部の人からの視点を取り入れれば何かアピールできるものがあるかもしれないと話された。私は自分も佐賀市に縁のない外部(よそ者)だが、東京にない魅力がたくさんあるし、それを発信するべきだと訴えた。
その後、正式なプロポーザルを経て、南雲室長がリードする秘書課シティプロモーション室の外部アドバイザーに任命され、2014年から今日にわたって佐賀市の魅力発信をお手伝いすることになった。