日本の広告最新事例を世界の潮流から読み解く #番外編

クリエイティブの巨匠・小田桐昭、杉山恒太郎。「レジェンド」は、当時の「チャレンジャー」だった

マクルーハンのメディア論をヒントに表現を暗中模索


 小田桐さんは、自ら手がけたディスカバー・ジャパンについて「当時エコノミック・アニマルと呼ばれ自分を見失っていた日本人に対する、“ディスカバー・マイセルフ”という呼びかけでもあった」と明かし、ビリヤード“危険がいっぱい”について「明るく災害を描いて欲しい、というクライアントからの難しい要望に対して、頭を使ってエンタテイメントにすることで応えた」と語りました。
 
 

 さらに僕の記憶に残ったのは、大橋巨泉ハッパフミフミ(パイロット万年筆)について語った、次のような部分でした。
小田桐 昭 小田桐昭事務所
電通入社以来約40年間、松下電器、国鉄、東京海上、資生堂、トヨタ自動車、サントリーなどのクリエイティブディレクションに従事。数度にわたるカンヌ広告祭での金賞・銀賞、IBA部門賞、CLIO賞、ACC(全日本CM放送連盟)グランプリなど、国内外で300以上の広告賞を受賞。イラストレーターとしても活躍、児童書の挿絵では読売児童文学賞や野間児童文学賞受賞に関った。東京アートディレクターズクラブ(AIDS)は、本人のアニメーションでカンヌ公共広告部門金賞に輝く。ACC杉山賞受賞。ACC会長賞受賞。ACC鈴木CM賞受賞。日本宣伝大賞山名賞受賞。ACCクリエ―ターズ殿堂。ADC殿堂、ADC、NYADC会員。金沢市立美術工芸大学客員教授。元オグルヴィ&メイザー・ジャパン(株)共同会長チーフクリエーティブオフィサー。

 ハッパフミフミは当時、“ナンセンスCM”として大人気となったもので、正直いま見ても、よく意味の分かるCMではありません。

 「CMをどうやってつくるか暗中模索していた頃、 “メディアが変われば人の理解も変わる”といったマクルーハンのメディア論を勉強して参考にしていた。つまり、伝統的な文字による説得ではなく、新しいテレビ的な説得があるはずだ、と考えた。意味が分からなくても相手の心が動くこともあるのではないか。“分からないこと”と“面白いこと”が両立するのではないか、という当時の電通のCMプランナーたちの実験だった」
 
 
 また、杉山さんは“ピッカピカの一年生”に関して、「ビデオという当時の最新テクノロジーを使ったからこそ実現できたCMだ。フィルムカメラだと子どもたちは自然にふるまえない。ビデオ撮影で脇のモニターで自分たちの姿が確認できるから、子どもたちの素晴らしい表情が撮れた」と語りました。
 
 
 レジェンドは、天から何かが勝手に降って来る生まれつきの“天才”なのではなく、勉強し、暗中模索し、必死に考え、左脳も駆使し、従来のものとは違う立ち位置を求め、最新テクノロジーをいち早く使っていたのです。

 つまりは、今の若い皆さんと同じ“チャレンジャー”だったわけです。「最も良くチャレンジした人」が結果的にレジェンドになった、と言ってもいいかもしれません。

 最後に、お二人が現役世代に向けて述べた一言を、ご紹介しましょう。

 まず杉山さん。「歴史の中には、山のようにアイディアがある。これを学ばない手はない。スティーブジョブズも言っているが、本当に新しいものは、歴史の中からしか生まれない」

 そして小田桐さん。「自分たちの現役時代は、世の中どうやって動かそうかと、チャレンジし“たくらみ”続け、そしてそのことにワクワクしていた。そうした大きな冒険心、大きな野心が失われつつあるのではないか。それではつまらない」

 レジェンドお二人のお話は、まさしく学びの宝庫と言えました。
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