マーケターズロード 鹿毛康司 #03

鹿毛康司の人生を変えた人、糸井重里、鈴木喬。

前回の記事:
ひとりの人として、お客さまと向き合う原点になった雪印時代―鹿毛康司
 

糸井重里さんの言葉があったから、鈴木喬会長に会えた


 2002年に雪印を去りましたが、そのきっかけになったのは糸井重里さんからもらった「言葉」でした。

 「ほぼ日(ほぼ日刊イトイ新聞)」の雪印事件に言及した記事を読んで、ほぼ日宛にメールを送ったら、糸井さんから返信をもらったんです。とっても真剣で熱く、しかし温かいメール。1353文字の長文です。見ず知らずの僕にそんなメールをくれたことに感動したけれど、もっとすごいのは中身です。現場にいたかのような洞察力と論理性にただただ驚きました。そしてこのメールが僕をエステーに導いたと言ってもいいと思う。
 
鹿毛康司(かげ・こうじ) 1959年福岡県生まれ。早稲田大学商学部卒業後、雪印乳業(現・雪印メグミルク)に入社。ドレクセル大学にてMBA取得(マーケティング、国際ビジネス)。帰国後、同社の営業改革を担当。2000年の雪印集団食中毒事件、2001年の牛肉偽装事件における被害者・マスコミ対応の前線に立つ。その後、2003年にエステー入社。15年にわたりコミュニケーション領域の責任者として活動し、戦略づくりだけでなく、プランナー、CM監督、コピーライター、作詞作曲家として独自のスタイルを築く。2011年の東日本大震災直後に手がけた「消臭力CM」は好感度日本1位を獲得(CM総合研究所11年8月)。ACC Gold、マーケターオブザイヤー(MCEI)、WEB人貢献賞など受賞。2020年かげこうじ事務所設立。

 メールは個人と個人の間のものだし、もらった言葉は僕の人生の宝物だから、内容は見せられない。ただちょっとだけご披露すると、「社長の熱さ、論理性、人格、といったようなものが、 実は、企業というものの表現のすべて」という趣旨が書かれていました。そしてエステーの鈴木喬社長(現会長)と出会い、入社を決めることになります。

 実は、何社か内定をもらっていたので、エステーは断ることにしていたんです。喫茶店で人事部長とお会いし、お断りのお詫びを申し上げていたその時でした。鈴木社長が突然現れ、「あなた、うちを蹴るらしいですな!ハハハ!」と大きな声で笑ったかと思ったら「さあ座ってください。今日だけは上座ですぞ」と言って、入社していないのに部下扱いするんですよ(笑)。

 それから1時間ほど、いかにエステーが素晴らしい会社かをずっと語るんです。10分おきに「うちに入りますよな」と聞いてくるんですが、「来週お答えいたします」と答えつつも私の心は入社を固めていました。糸井重里さんのメールに書かれていた「まさしくその社長」が目の前に現れたのです。運命でした。




 ちなみに、エステーで宣伝部に配属されたのは、僕の雪印でのリスク対応や謝罪広告の経験を買ってということではなく、“目立たない”部署だったからです。社長(当時)直々に引っ張ってきた上に、キャラも目立っているから、目立たない部署に行ってほしいとはっきり言われました。ところがCMが当たりすぎて、社内では逆に目立ちすぎました。

 雪印事件を取り上げたNHKスペシャル「会社が信頼を失ったとき~雪印社員たちの苦闘~」は見ていたようで、「ああいうことを、うちでやられたら腹が立ってクビにするかもしれませんが修羅場をくぐった人間は強いですからな」と言っていました(笑)。

 CMがとにかく話題になって社内では予算を使いすぎだと勘違いされ、非難の声があがっていました。実際のところ予算は全く変わっていなかったんです。しかし社長(当時)はそれを知りながら、社員全員の前で景気づけと言って「みなさん!広告があたってますな。宣伝費もどんどん増やしていますから」と言うんですよ。

 社長に「立場がなくなりますから、やめてください」と言うと、「私はこの会社を変えたいんです。あなたはそのための人身御供ですから」と、また大きな声で笑うんです、もう時効だと思って言っていますが(笑)。その大きな器と、とてつもなく強いリーダーシップに私はトロトロにされました。まさしく会いたい人に会えたのです。

 エステーのCMはぶっ飛んでおもしろいと、よく言われます。つくっているのは確かに私だけど、その意味と意義をきちんと理解して「広告は投資だ。私はあなたに投資しているんだ」という鈴木喬がいたからこそ生まれた広告でした。

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