マーケターズ・ロード 石橋昌文 #02

伝説のキャンペーン「キットカット 受験生応援キャンペーン」は、なぜ全国的なムーブメントを創出できたのか

前回の記事:
ネスレ日本 石橋昌文氏がCMOを退任。38年間でたどり着いたマーケティングという仕事の価値
  ネスレ日本に新卒で入社し、専務執行役員 CMOを務めた石橋昌文氏が、2023年1月で同社を定年退職し、アドバイザリーに就任。第一線で活躍してきたトップマーケターの石橋氏は、38年間の会社人生の中で、どのようにキャリアを歩み、その時々で何を考え、どう実行してきたのか。第2回では、現在では伝説のキャンペーンとも呼ばれる「キットカットの受験生応援キャンペーン」を中心に、消費者と繋がったと感じた経験やキャンペーンの誕生秘話について語ってもらった(全4回)。
 

トレインジャックで、人々の心とつながった瞬間


 私は38年間の会社人生の中で、最も大きな成果を収めたと感じているのは、キットカットの受験生応援キャンペーンです。これは、受験生を応援したいという想いを持った人に、キットカットをきっかけとして受験生への応援メッセージを伝えてもらおうという企画です。

 最初は都内での2カ所のホテルで、フロントの人から、受験生パックで宿泊している学生さんが受験会場に向かう際に、キットカットを手渡ししてもらい、「テスト頑張ってください」とひとこと声をかけてもらうという取り組みからスタートしました。

 キャンペーンが人の心を打っていると実感したのは、JR山手線のトレインジャックをしたときのことです。1編成、それも車両の内外すべてのトレインジャックは、当時の日本ではかなり初期の取り組みでした。車内には、学校や塾の先生、親、友だち、近所のお店の人たちなどが、自分たちの教え子、家族、友人、お客さんといった身近な受験生に向けて、手書きの応援メッセージを掲載しました。車両の外側は、桜のイラストとともに、キットカットが受験生を応援していることを伝えるクリエイティブでした。
 
石橋 昌文 氏
ネスレ日本 専務執行役員 チーフ・マーケティング・オフィサー

 1985年ネスレ日本に入社。営業本部、ネスレUKを経て、1992年 ネスレマッキントッシュ株式会社 (現コンフェクショナリー事業本部)。2年間のネスレスイス本社での勤務を経て、2005年 同 マーケティング統括部長。キットカットの受験生応援キャンペーンに携わり、成功に導く。2009年ネスレ日本 常務執行役員 コミュニケーションズ&マーケティングエクセレンス本部長、2012年チーフ・マーケティング・オフィサー(CMO)、2023年1月で定年退職。現在は、アドバイザリーに就任。

 あるとき、私は東京出張に来ていて山手線に乗ろうとしたら、たまたまその電車に乗ることができました。乗車してみると、車内ではたくさんの人が我われの広告に目を向けていました。それも単に眺めているのではなく、「心に響いている」「共感している表情」が見てとれたんです。

 我われの考えた企画が一般の人々に受け入れられていることを肌で感じました。その光景を見た瞬間は、本当に嬉しく、感動したことを今でも覚えています。これは、東京の一部エリアの話でしかありませんが、「人々の心とつながった」というシーンを目の当たりにできたことは、本当に貴重な経験でした。

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