TOP PLAYER INTERVIEW #70

宇多田ヒカル 宣伝プロデュースを手掛ける梶望氏が明かす、デビュー25周年ベストアルバム『SCIENCE FICTION』のマーケティング戦略

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  2024年4月10日に宇多田ヒカルが初のベストアルバム『SCIENCE FICTION』を発売した。このアルバムを軸に映画『キングダム 運命の炎』とフジテレビ系月9ドラマ「君が心をくれたから」の主題歌、「伊藤忠商事」や「綾鷹」などのテレビCMに出演するなど、さまざまなタイアップを実施した。その相乗効果が大きな話題を呼んでいる。

 今回は、宇多田ヒカルの宣伝プロデューサーを務めるソニー・ミュージックレーベルズ 第三レーベルグループ ゼネラルマネージャー 兼 EPICレコードジャパン 第三制作部 部長の梶望氏にインタビューを実施。宇多田ヒカルのデビュー前から25年にわたって宣伝プロデュースを手掛けている梶氏に、初のベストアルバムの発売に伴うタイアップの背景などについて詳しく聞いた。
 

「新しいファンを開拓する作品群」としての初・ベストアルバム


―― まず、宇多田ヒカルのデビュー前から25年にわたって宣伝プロデューサーを務めてきた梶さんのご経歴を簡単に教えてください。

 1995年に日本コロムビア(旧コロムビアミュージックエンタテインメント)に入社し、翌年に(当時)東芝EMIに移りました(東芝EMIは、EMIミュージック・ジャパンに社名を変更し、ユニバーサル ミュージックに吸収合併された)。私はデビュー前から宇多田ヒカルのプロモーションを担当し、その後もAI、今井美樹など、さまざまなアーティストの宣伝プロデュースを手がけてきました。

 その後、2017年に宇多田ヒカルがソニー・ミュージックレーベルズに移籍するときに、業界でも珍しいケースながら、私も一緒に移籍しました。現在は主に宇多田ヒカル、いきものがかりなどの宣伝を担当しています。

 一方で、新規事業にも取り組んでいます。ソニーグループは「クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす。」というPurpose(存在意義)のもと、クリエイターやアカデミア、異業種の企業など、様々なパートナーと結びつき、共創しながら感動を生み出すことに挑戦しています。お互いの強みを活かしてグループ内合同でいろいろな仕掛けをすることも増えています。もちろんレーベル関連の仕事も楽しいですが、ゼロから新しい商品やサービスなど、ビジネス自体をつくれるのも面白いですね。
 
ソニー・ミュージックレーベルズ 第三レーベルグループ ゼネラルマネージャー 兼 EPICレコードジャパン 第三制作部 部長
梶 望 氏

―― 今回、宇多田ヒカルさんとして初のベストアルバム『SCIENCE FICTION』のリリースにあたりどのようなマーケティング戦略が展開されましたか。

 意外に感じる人もいるかもしれませんが、実は今回が宇多田ヒカルにとって初の本格的なベストアルバムです。ベスト盤は従来、アーティストの過去を振り返るレガシー(遺産)的な扱いになりがちでした。ただ私たちは、ベスト盤をこれからの新しいファンを開拓する作品群として位置づけたいと考えました。そこで「過去を振り返るものではなく、これからの新しいファンを開拓する作品群」をコンセプトにマーケティング戦略を練りました。

 具体的には、今回のベストアルバムには新たなミックスバージョンが10曲、さらに3曲が元の作品をもとに1からすべて制作しなおしたリレーコーディングバージョンとして収録されました。また、新曲も2曲入っています。
   
2024年4月10日に発売した初のベストアルバム『SCIENCE FICTION』

 現代では音楽を聴く手段として、Apple MusicやSpotify、YouTubeなどストリーミングサービスが主流となりつつあります。昔の新しい出会いはリリースされた新曲でしたが、いまではそれらのストリーミングサービスでパーソナライズされたレコメンドがされる時代です。つまり、過去の作品でも常に新しい出会いのチャンスがあるわけです。

 したがって、新しい出会いは必ずしも新譜である必要はなく、ユーザーが新しく感じられたらいいわけです。このような背景から、過去の作品でも新譜であると感じてもらうような「出会い」を大切にしたいと考えました。

 もうひとつはSNSやストリーミングサービス、海外のプラットフォームなどテクノロジーやサービスの発展により、一瞬で世界とつながれるようになったことが我々にとって大きかったです。特に、YouTubeの浸透により、海外のファンがすごく増えています。

 とはいえ、海外のファンに関しては、まだまだ開拓するべき余地がたくさんあります。スクウェア・エニックスが発売しているロールプレイングゲーム「キングダム ハーツ」シリーズのテーマソング「光」がきっかけの人もいれば、エヴァンゲリオンの劇場版で使われた作品の人などさまざまです。それ以外の作品をきっかけにしたファンはいるものの、まだ新しい出会いの余地があることと、楽曲のファンではあっても宇多田ヒカルのファンにまではなっていない人も多くいます。そのような人たちにとっても今回のベストアルバムが、宇多田ヒカルというアーティストを知ってもらうイントロダクションのような位置づけにしたいという意味合いが込められています。

―― その中で、これまで何を最も重視してきたのでしょうか。

 デビューからこれまで25年間、宇多田ヒカルのマーケティングにおいて最も重視してきたのは“作品ファースト"です。「宇多田ヒカルをどう売り出すか」ということよりも、「宇多田ヒカルの作品や世界観自体を世に広めること」を最優先に活動してきました。それもあり過去にはライブやツアーで宇多田ヒカルが出演すると、SNSでは「宇多田ヒカルって本当にいたんだ」といった投稿を見かけることがありました。それを見たときには、逆に我々の作品先行のプロモーションを積み重ねてきたならではの現象だなと思いましたね。

 宇多田ヒカルの作品が浸透し、それをライブやツアーで生の歌声を聴いて確認する。それは常に“作品ファースト”で取り組んでいたからこその結果だと感じています。今回のコンセプトについても、作品ファーストをしっかりと押さえた上で何をどう伝えてコミュニケーションしていくのかを、本人も含めたチーム全体で話し合いをしながら絞り込みました。

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