TOP PLAYER INTERVIEW #71

宇多田ヒカルの“血”の通ったプロモーション戦略の真髄とは?「作品ファースト」で世界に挑む【ソニー・ミュージックレーベルズ梶望氏】

前回の記事:
宇多田ヒカル 宣伝プロデュースを手掛ける梶望氏が明かす、デビュー25周年ベストアルバム『SCIENCE FICTION』のマーケティング戦略
  2024年4月10日に宇多田ヒカルが初のベストアルバム『SCIENCE FICTION』を発売した。このアルバムを軸に映画『キングダム 運命の炎』とフジテレビ系月9ドラマ「君が心をくれたから」の主題歌、「伊藤忠商事」や「綾鷹」などのテレビCMに出演するなど、さまざまなタイアップを実施した。その相乗効果が大きな話題を呼んでいる。

 今回は、宇多田ヒカルの宣伝プロデューサーを務めるソニー・ミュージックレーベルズ 第三レーベルグループ ゼネラルマネージャー 兼 EPICレコードジャパン 第三制作部 部長の梶望氏にインタビューを実施。前編では、ベストアルバムのマーケティング戦略やそれと連動して発表した全国ツアーの意図、タイアップの相乗効果について詳しく紹介した。後編では、現在の音楽業界におけるマーケティングプロモーションの変化と「若年層」と「アジア層」にアプローチするときに意識していることなどについて詳しく聞いた。
 

マーケットの変化とターゲットに合わせた戦略


―― 現在の音楽業界における、マーケティングプロモーションの変化をどう捉えていますか。また、それを踏まえてどのような施策を展開したのでしょうか。

 宇多田ヒカルのデビュー当時と比較して、マーケティング上の変化は宇多田ヒカル自身というよりも、世の中であり、マーケット環境だと思います。デビュー当初は、CDを一枚でも多く売ることがビジネスの中心でした。しかしいまではApple MusicやSpotifyなどの音楽ストリーミングサービスがメインのマーケットになりつつあります。

 つまり「数字のつくり方」が変わってきているのです。これまでは1万の数字をつくるためには1万人に1枚ずつCDを売らなければなりませんでした。しかしこれから、サブスクリプションが中心となれば、1000人が10回ずつ聴けば同じ1万の数字になります。ヒットのつくり方がマーケットの変化によって「広く浅く浸透する」から「狭く深く攻める」へと変化したのです。
 
ソニー・ミュージックレーベルズ 第三レーベルグループ ゼネラルマネージャー 兼  EPICレコードジャパン 第三制作部 部長
梶 望 氏

 またコロナ以前は、デジタルメディアはあくまで補完的なものだと私は考えていました。しかし、コロナ期間にヒットしていったシンガーソングライターの瑛人の「香水」や音楽ユニットのYOASOBIなどのアーティストが、SNSを中心にデジタルだけで大ヒットしたことを機に、現在ではヒットの多くがデジタルメディアで形成されています。その後、マスメディアなど他のメディアに展開していく流れが主流になっています。

 デジタルが起点となっていますが、レガシーなメディアにも価値や重要性はあります。メディアごとにターゲット層が異なることを理解し、コミュニケーションを構築することが重要です。たとえば、ベストアルバムのテレビCMでは、番組によって使用曲を変えました。そのために、YouTubeでのA/Bテストを通じて、どの広告がどの層に響くのかを徹底的に分析しましたね。

 その結果、意外にも新しい世代には1999年にリリースした「First Love」が人気であることがわかりましたし、エヴァンゲリオンの「One Last Kiss」はやはり20代以上の男性層に好評でした。このようなデータを基に、テレビ番組ごとの視聴者層に合わせて作品をベースに広告の素材を取捨選択しています。ここまで多種多様な広告を展開する戦略は初めてです。
 
Hikaru Utada 「SCIENCE FICTION」 SPOT | First Love(※主に、若年層をターゲットにテレビCMで配信)
 
Hikaru Utada 「SCIENCE FICTION」 SPOT | One Last Kiss(※主に、映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のテーマソングが響く20代以上の男性をターゲットにテレビCMで配信)
 
Hikaru Utada 「SCIENCE FICTION」 SPOT | 花束を君に(※主にNHKの朝ドラを観ている層、ファミリー層をターゲットにテレビCMで配信)

―― 宇多田ヒカルさんのプロモーションやタイアップにおいて特に成功した事例を教えてください。

 面白い結果になったのは、25周年記念として制作した「くまちゃんAR」です。宇多田ヒカルがこよなく愛するぬいぐるみのくまちゃんがいまして、その手描きのくまちゃんを介してファンとアーティストがつながる仕組みをつくったのです。「綾鷹」ともコラボする形でファンとタイアップ商品とのエンゲージメントも高めていきました。

 
ファンとのエンゲージメントを高めた「くまちゃんAR」遊び方ガイド

 また、「綾鷹」の広告などにARをかざして大量のくまちゃんを登場させてSNS上で遊ぶファンが出てきました。ここで大切なのは、一方的なコミュニケーションではなく、ファンが自分なりに遊べるような余白をつくることです。想像していた以上にファンが、勝手に遊んでくれたことには驚きましたよ(笑)。

 特に、宇多田ヒカルが住むロンドンと日本の「距離」を今回のベスト盤のモチーフでもあるワームホールを使って超えることは重要なポイントでした。このAR施策によって、コアなファンとの関係を深めることができたのは大きな成功だったと感じています。

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