新時代のエンタメ舞台裏~ヒットにつなげる旗手たち~ #21

ドラマ『silent』で一躍注目されたTVerのキーパーソンが語る、デジタル時代におけるテレビCMの価値

前回の記事:
広告売上高・出稿企業数ともに前年度比約2倍にーTVerが象徴するテレビ業界の新しい夜明け
 日本の音楽・映画・ゲーム・漫画・アニメなどのエンタメコンテンツが、世界でも注目されることが多くなった昨今。本連載は、さまざまなエンタメ領域の舞台裏で、ヒットを生む旗手たちの思考を noteプロデューサー/ブロガーの徳力基彦氏が解き明かしていく。

 今回、徳力氏が対談したのは、株式会社TVer 常務取締役COOの蜷川新治郎氏(取材当時。2025年6月30日をもって退任)だ。TVerの2025年1月の月間ユーザー数(MUB)は4120万ユニークブラウザを記録し、パリ五輪が開催された2024年8月の月間ユーザー数の記録を上回り、過去最高記録を更新した。また広告収入も好調で、2024年度の広告売上は前年度比221%、広告出稿企業数も2138社と前年度の2倍近くに増えたという。立ち上げから、国内有数の動画配信プラットフォームとなった現在まで、TVerの成長に並走し、テレビ業界の未来を拓き続けている蜷川氏に、デジタル時代の今、テレビCMが持つ本当の価値について聞いた。
 

初TVerの認知と進化の起爆剤となったドラマ『silent』


徳力 2022年10月にフジテレビのドラマ『silient(サイレント)』が大きな話題になりました。これが、世間にTVerの認知が一気に広がった、ターニングポイントの一つだったように思います。

※『silient(サイレント)』:2022年10月6日から12月22日までフジテレビ系「木曜劇場」枠で放送されたテレビドラマ。主演は川口春奈。2021年「ヤングシナリオ大賞」の大賞を受賞した生方美久氏が初めて連続ドラマの脚本を手掛けた作品。TVerで計7300万回超えの歴代最高の再生数を誇り、その年の「TVerアワード」(多くのユーザーに愛されTVerの発展に寄与した番組を称える賞)でドラマ大賞を受賞した。

蜷川 前編でお話しした、サイマル(同時配信)対応もなんとか完了して、ようやく安定してきたなと思ったタイミングでのヒット作でした。

『silent』がもたらしたものとして、一般的には「TVerの認知度アップ」や「コンテンツの視聴スタイルの変化(好きな時に好きなものを見る)」がよく言われます。しかし、僕らにとってより大きかったのは「テレビ局側の意識変化」でした。

当時のテレビ局は「5局総合でどの番組が1番か」は曖昧にしておくのが暗黙の了解だったんです。しかし『silent』の話題性は、それを打ち破って「1番」を世に知らしめることとなりました。
 
株式会社TVer 常務取締役COO(取材当時。2025年6月30日退任)
蜷川 新治郎氏

1971年 東京都中野区生まれ
1994年 日本経済新聞社入社 インターネットサービスの開発を担当
2008年 グループ会社であるテレビ東京への長年にわたる異動希望かなわず「日経一回辞めて、テレ東へ転職」
 インターネットサービス全般の企画開発、システム構築を担当
2013年 グループ内インターネット事業を統括する「株式会社テレビ東京コミュニケーションズ」を立ち上げ
 他局などとの共同プロジェクトの立ち上げに参画(TVer、Paraviなど)
2019年 「株式会社TVer」立ち上げ企画書原案を提出
2020年7月 株式会社TVer立ち上げ、取締役就任 TVer事業の統括責任者
2023年6月 常務取締役COO
2025年7月 テレビ東京ホールディングス 執行役員

徳力 元々は各局が、お互いに角が立たないようにしていたのですね。

蜷川 同時に「作り手側の意識変化」も大きかったです。僕は『silent』 の制作スタッフから「TVerに助けられた」と言われました。『silent』は確かに素晴しい作品でしたが、視聴率は最高でも1桁%と決して高くなかったんです。視聴率で見ればいまひとつだったかもしれないけれど、世の中では確かに大きな話題になり。それを証明するものとしてTVerでの数値がある。作品が世間から評価されたことが、作り手にもきちんと伝わったのは良かったと思います。

それまでTVerは「テレビの価値を毀損するもの」と認識されることが少なくありませんでした。実は過去には「TVerはNG」という作品や演者さんもいたくらいです。それが、『silent』が突き抜けたことで「作品の価値を高める場」という認識が進んだように思います。

徳力 時代が変わった瞬間ですね。良い作品がしっかり見られ、評価される場所になってきているということですね。たとえば同じ「◯千万回再生」でも、一瞬しか聴かれていない可能性がある音楽コンテンツと比較すると、テレビコンテンツの視聴時間は長い。その接触時間の長さから生まれるエンゲージメント力は大きな特徴の一つですね。

蜷川 確かに、テレビコンテンツのエンゲージメント力の強さは特徴の一つと言えるでしょうね。それはTVerというプラットフォームの特徴にもなっていると思います。

加えて、『silent』がヒットした頃から、「世の中で見られているコンテンツが、より多くの人に見られる」ようなユーザーインターフェースの整備も進めています。

徳力 たとえば、トップ画面に表示される、ジャンルごとのランキングもそうですかね。これ、昔はありませんでしたよね?

蜷川 はい。昔はありませんでしたし、当初は編成権がTVerになく、各局が選んだものを単に並べているだけでした。現在はTVerに編成権が移っています。

徳力 なぜ編成権がTVerに移ったんですか?

蜷川 コンビニの商品陳列と同じように「視聴者が見たいものを見せる」時代になったのだと思います。「テレビ局側が見てほしいものを発信する」今までの仕組みから、「ユーザーが見たいものを見やすいように発信する」新しい仕組みへと変化してきました。そのほうが、結果的にヒットが生まれやすいんですよね。

かつては、用事があって見逃した番組や、話題になっている番組をキャッチアップする用途が中心だったのが、昨今は特別な理由がなくても「TVerで見よう」というユーザーが増えています。こうした中、テレビ局側も「どこで見てもらってもいい」という意識へと徐々に変わってきているように思います。

徳力 僕は、「好きなものを好きな時に見る」というコンテンツ視聴スタイルの変化に、TVerが間に合って良かった! と勝手に思っているんです。初めてお会いしたバスの中で、蜷川さんが「テレ東の番組はABEMAで流せばいい」とおっしゃった時、僕は「この人は、なんて恐ろしいことを言うんだろう」と思っていました。

でも、今やNetflixの日本国内の会員数が1000万を突破し、トップページにはテレビコンテンツが当たり前のように並んでいます。ランキングに日本のテレビドラマが入っていることも珍しくありません。「人は、見たい場所で見る」ということを再認識しています。

蜷川 インフラビジネスとしてのテレビはもちろん今でも魅力的ですし、残ってくれたほうが僕としてもありがたい。でも、前編でもお話したように、1995年にインターネットが誕生した瞬間から、理論上はテレビ放送の優位性は目減りし続けています。

僕たちテレビ側の人は「コアな人がコアな場所で見てくれればいい」とは思っておらず、一人でも多くの人に見てほしいと思ってコンテンツをつくっています。だから、ユーザーがコンテンツを手に取りづらい状態にしてしまうのは、マーケティング的に正しくない。僕らはコンテンツホルダーで、放送という自前の専門店も持っているけれど、可能な限り「ここに来なきゃ買えない」という状態にはしないということです。

徳力 「地上波こそが自分たちのビジネス」と思わない。その俯瞰的な視点での発想は、新聞の激変を見てきた“外様”だった蜷川さんだからこそできたことかもしれませんね。

蜷川 イノベーションを起こすには、まずは一旦、既存のものを否定しなければいけないのでしょうね。

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