創造的思考の源泉とマーケティング #08

AI時代における「頭がいい」とはどういうことか? 気鋭の脳科学者・毛内拡氏に聞く

前回の記事:
「オール良し」は受け入れられない。日清食品のカオスなテレビCMに隠された論理とおもしろさ【日清食品ホールディングス 宣伝部長 米山慎一郎氏】
 リクルートでクリエイティブ・ディレクターとして広告を制作し、武蔵野美術大学では社会人の創造的思考育成プログラムの講師も務める萩原幸也氏が、創造的思考を駆使してビジネスシーンで活躍するプロフェッショナルと対談し、アイデアの源泉やマーケティングにつながる考え方を解き明かしていく「創造的思考の源泉とマーケティング」連載。

 第5回は、お茶の水女子大学助教で「『頭がいい』とはどういうことかーー脳科学から考える 」(ちくま新書)の著者でもある脳科学者の毛内拡(もうない・ひろむ)氏が登場。前編では、AI時代における人間の創造性とは何か、脳科学の視点から創造的思考の基盤となる「脳の持久力」について語り合った。
 

「脳科学を学ばずして、人生を卒業できない」


萩原 私は昨今、マーケティングがサイエンス偏重になりすぎていると感じています。人の気持ちを動かすのはアートやクリエイティビティーではないかーー。その重要性をマーケターに伝えるために、この連載を始めました。

毛内さんの著書『「頭がいい」とはどういうことかーー脳科学から考える』を拝読し、私たちがクリエイティブの現場で実践していることが、脳科学の側面から裏付けられているように感じ、心強く思いました。

毛内 私は常々「脳科学は現代人の必修科目」だと言っています。脳科学を学ばずして、人生を卒業できないと思っているんです。「科学」というと難しそうと思う人が多いのですが、脳は必ず一人1つ持っているものです。そして、政治も経済もアートも、すべて脳が行っていることです。なので、正しい脳科学をみんなに知ってほしいという思いで発信しています。
 
毛内 拡氏
お茶の水女子大学 助教

1984年、北海道生まれ。2008年、東京薬科大学生命科学部卒業。2013年、東京工業大学(現東京科学大学)大学院総合理工学研究科博士課程修了。博士(理学)。日本学術振興会特別研究員、理化学研究所脳科学総合研究センター研究員を経て、2018年より現職。

萩原 私自身もそうですが、マーケティングやクリエイティブを探究していくと、心理学や行動経済学を経て、最終的に脳に行き着きます。

毛内 まさにそうです。すべては脳の働きによるものですから。私の脳科学研究の出発点は「自分を理解したい」という欲求でした。何かを突き詰めたいと思ったら、まず自分を知ることが非常に大事だと思います。

萩原 毛内さんは、自分の何を知りたいと思ったのでしょうか?

毛内 自分って、ときどき意味の分からないことをすることがありますよね。合理的ではないと思っていてもおかしなことを言ってしまったり、すぐ悩んでしまったり。

私は疲れてくると「破局的思考」に陥ります。来るメールがすべて自分に対して怒っているのではないかとか、道端でこそこそ話している人が自分の悪口を言っているのではないかとか。そんなことは絶対にありえないのに、体調に思考が左右されて変化していくのです。

それを自分で観察していて、「そもそも自分とは何なのか」そして「自分というものの本質はあるのか」がとても気になりました。突き詰めていくと、それはやはり脳の働きだから、脳のことが分かれば、きっと自分のことも分かるのではないかと考えています。
 

グリア細胞が支える「脳の持久力」


萩原 著書「『頭がいい』とはどういうことかーー脳科学から考える」の内容を簡単にご紹介いただけますか。

毛内 脳科学といっても、私の研究領域はとても広く、心理学や認知科学などに加え、神経科学といわれる分野にも及びます。顕微鏡でネズミの脳内を観察し、脳細胞や脳内物質などを調べる生物学的なアプローチもとっているんです。

特に今、私が着目しているのは、ニューロンの周りを取り巻いているグリア細胞です。本にも出てきますが、グリア細胞が正しく働いていることが、すなわち脳が健康ということであり、脳のパフォーマンスがいいということなのです。グリア細胞がうまく働かなくなると、うつ病や認知症を発症しやすくなることが、最近分かってきています。

萩原 グリア細胞とは何なのですか?

毛内 グリアは「接着剤」という意味です。昔は名前の通り、単にニューロンの隙間を埋める、結合の役割を担っているだけだと思われていました。というのも、グリア細胞は電気を発生しないので、その活動を捉えるのが難しかったのです。

「脳は10%しか使われていない」とよく言いますが、これはニューロンに対してグリア細胞の数が9倍ほどあるので、「脳内で実際に動いている部分は10%ほど」であると考えられてきたのです。しかし、最近は顕微鏡の技術が向上し、グリア細胞の活動を捉えることができるようになりました。その結果、グリア細胞が非常に重要な働きをしていることが分かってきたのです。

グリア細胞の中でも、私が一番着目しているのは、アストロサイトという星の形をしたグリア細胞です。アストロサイトは血管とニューロンの両方にコンタクトしていて、脳のエネルギーであるブドウ糖を血管から吸収し、ニューロンが使える形にして渡す役割を担っています。

また、ニューロンの活動によって出た多くの老廃物を回収・リサイクルして、ニューロンにエネルギーを返してあげるということも、アストロサイトが行っています。アストロサイトが仕事をしなくなったら、ニューロンも生きていけないというくらい不可欠な細胞なのです。

実際に最近の研究で、うつ病をはじめとする精神疾患や認知症、アルツハイマー病なども、すべてアストロサイトの機能不全によるものだということが分かってきています。

萩原 著書では「頭の良さ」の定義にも踏み込んでいますよね。

毛内 AI時代に、脳はどう使われるべきなのかをずっと考えていました。今までは答えがある問いに対して素早く解を出せることや、知識がたくさんあることが頭の良さの象徴でした。しかし今は、それらの力はあまり必要なくなってきています。

むしろ、答えがないことに取り組んでいく力が重要です。このときの脳の働きとしては、アストロサイトが頑張ってニューロンにエネルギーを供給し続け、ニューロンが出す老廃物を都度片付け続ける必要があります。それは「持久力」のようなものと言えると思いました。そこで本書では「脳の持久力」というキーワードから発想を広げていき、アストロサイトが担う役割の重要性を述べました。脳の持久力こそがAI時代に必要とされる知性と言えます。

萩原 私は武蔵野美術大学で講師をしていますが、「答えがない時代に、いかに持久力をもって考え続けられるか」は、美術教育でも強く重視しています。

毛内 理系の研究も同じです。研究には答えがないので、大体は失敗するのですが、それでも考え続けることが重要です。
 

AI時代の「頭がいい」とは?


萩原 社会人にアート教育を行う過程で制作をしていただくと、何をしてよいのかがわからず、戸惑う方が多いんです。
 
萩原 幸也氏
リクルート マーケティング室 クリエイティブディレクター/部長

山梨県生まれ、武蔵野美術大学を卒業後、リクルート入社。リクルートグループのサービス、コーポレートのブランディング及び、マーケティングを担当。Xのフォロワー10万人。
公益社団法人 日本アドバタイザーズ協会 クリエイティブ委員
武蔵野美術大学 評議員
武蔵野美術大学 ソーシャルクリエイティブ研究所 客員研究員
武蔵野美術大学校友会 会長
県庁公認 山梨大使

毛内 そうでしょうね。社会人で美術大学の門戸を叩く人は、「何をしたら絵がうまくなるか」といったテクニカルな答えを求めていると思います。そこで「答えなんてないんだよ」と言われると、肩透かしを食らったような気持ちになるのでしょう。

萩原 以前、美大の説明会で、社会人の方から「この生成AI時代にどうやって生きていくべきかという答えがここに通うと出ますか?」と質問されました。「絶対に出ません」と答えましたが、象徴的な質問でしたね。ビジネスパーソンがいかに正解を求められ続けているかということの表れです。

毛内 学生もそうです。受験はまさに、いかに早く正しい答えを出すかというゲームです。そういう人たちが大学に来て突然「全部自由です、答えはありません」と言われたら、何もできなくなってしまいます。「そうじゃなくて、ちゃんと知識を教えてください」と言われるんです。

今の学生たちは生まれたときからGoogleがあるので、調べれば何か答えが出てくると思っています。生成AI時代になり、その傾向はより加速していて、「答えがない状態」というのをイメージできないのだと思います。

萩原 生成AIが日々進化する中で、人間の「頭がいい」状態について、もう少しご説明いただけますか。

毛内 まず、AIを使いこなす能力は重要になってくるでしょう。私たちがAI時代に育んでいかなければいけないのは、コミュニケーション能力だと思います。きちんとプロンプトを書けるというのも結局、AIとのコミュニケーション能力ですよね。


萩原 なるほど。適切なプロンプトを設計すること自体が、AIとのコミュニケーション能力だという理解でよいでしょうか。

毛内 どういう指示をすれば、相手がうまく動いてくれるのかという意味では、リーダーシップやコミュニケーション能力と言えます。こういう力を最近は非認知能力、社会的情緒スキルとも言います。いわゆる「社会性」とされる能力です。

コミュニケーションにはマニュアルがあるわけではないので、柔軟に言葉を選んだり、顔色をうかがったり、いろいろしなければいけない。答えがないことに取り組むのと同様に、これにも脳の持久力が試されます。

私たち人間は生物としては非常に弱いです。爪も牙もないし、速く走れないし、空も飛べない。それでも、今も生き残っているのは、コミュニケーション能力を磨いてきたからです。1対1では敵わなくても、みんなで集まって協力すればマンモスだって倒せました。コミュニケーションが大事、というのはありきたりな結論ですが、今後ますます重要なキーワードになると思います。

萩原 私の子供も最近はショート動画ばかり見ていて、コミュニケーション能力が育まれないのではと心配しています。「社会性」は大人になってからでも身に付くものでしょうか。

毛内 よく英語は8歳まで、音楽は3歳までなどと言いますよね。それは脳の性質として、学習効率が高い時機である「臨界期」や「感受性期」と言われるものがあるからです。しかし、その時期を過ぎても完全に閉じるわけではありません。大人になってからでも英語が話せるようになる人がいるように、社会性もある程度は身に付けられると思います。

ただ、社会性についても臨界期があります。サルを生まれた直後に群れから離すと、大人になってから群れに戻しても全然なじめないという実験結果が出ています。だから、「子どものうちは勉強しなさい、お友だちと遊ぶのは大学に入ってからできるでしょう?」という育て方をしてしまうと、高いコミュニケーション力は身に付けられないかもしれません。
  

※後編「AI時代のビジネスパーソンは『知恵ブクロ記憶』を鍛えよう。脳科学者 毛内拡氏の提言」へ続く

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