ビジネスにイノベーションを起こす「思考法」 #24

あいみょんプロデューサー 鈴木竜馬が語るヒットの法則「音楽業界のエッジからセンターへ」

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 エトヴォス 取締役COO田岡敬氏が第一線で活躍するビジネスパーソンから、その人がキャリアを切り開いてきた背景やイノベーションを生み出してきた思考法を探っていく連載。第12回は、ワーナーミュージック・ジャパン執行役員の鈴木竜馬氏が登場。

 鈴木氏は、RIP SLYME、BONNIE PINK、きゃりーぱみゅぱみゅ、ゲスの極み乙女、高橋優、WANIMAなどのアーティストを世に送り出し、最近は若い世代から絶大な支持を集め、紅白歌合戦にも出場したあいみょんのプロデュースも手掛けている。数多くのアーティストをヒットさせてきた背景から、サブスクリプション型へと移行する音楽ビジネスの最前線、仕事における哲学まで、鈴木氏の20年来の知人である田岡氏が話を聞いた。
 

あいみょんがヒットするまでの道のり


田岡  竜馬さんは、ワーナーミュージック・ジャパンの執行役員とレーベル「unBORDE」の代表を務めながら、2017年にアーティストのマネジメント業務を担う企業 CENTROを設立して、代表取締役CEOに就任しました。CENTROは、どのような狙いで設立されたのでしょうか。

鈴木  「CENTRO」という言葉は、イタリア語でセンター(中心)を意味します。広場や台風の目という意味もあって、その時々で時代のセンターになれるようなアーティストを発掘したいという思いを込めています。

 私が2010年に立ち上げたレーベル「unBORDE」は、スペイン語で境界線という意味を持っています。これは僕のアイデンティティでもある言葉で、音楽業界のエッジ(端)を狙うという表明です。どちらかと言うと、これまで変わりものばかりを手掛けてきました。
鈴木竜馬
ワーナーミュージック・ジャパン 執行役員/CENTRO 代表取締役
1969年東京生まれ。東海大学文学部卒業。1993年にソニークリエイティブプロダクツに入社、96年に退社後、世界各国を旅する。99年にワーナーミュージック・ジャパンに入社。2010年にunBORDEのレーベルヘッド、14年に執行役員に。17年10月に設立された360度ビジネスの新会社CENTROの代表取締役に(ワーナーミュージック・ジャパン執行役員兼任)。

田岡  それは音楽業界のエッジ、つまりディープな人に刺されば、いずれはセンター、つまり一般に受ける王道にもなるという意味でしょうか。

鈴木 そういう狙いも含まれますね。現代は全員が「右向け右」のように同じ方向を向く時代ではありません。個人の趣味嗜好の世界で、少しだけ幅の広いところを狙えばいいと考えています。
 
unBORDEに所属する代表的なアーティスト
・あいみょん
・きゃりーぱみゅぱみゅ
・ゲスの極み乙女(2014年~2018年)
・高橋優
・RIP SLYME
・WANIMA など

田岡  昨年ブレイクした、あいみょんの場合は、どうだったのでしょうか。紅白にも出場して、いま日本で最も注目を集めている若手アーティストと言っても過言ではないかもしれません。

鈴木  あいみょんは、いい意味で想定外でしたね。僕が初めて、あいみょんに会ったのは、彼女が19歳の時です。現在のプロダクションの社長から「おもしろい子を見つけたんで、観てもらえません?」というお話を頂戴して。一目みて虜になって、熱烈なラブコールを送りました。

 その頃の彼女は、親子の絆や性的真理など死生観に因んだ曲から恋愛模様まで数百曲のdemo音源を持って歌っていたのですが、「10代でこんな詩を書くなんて、すごくいいな」と思いました。そのままデビューしても良いくらいと思ったのですが、プロダクションサイドの下手に急いでデビューさせるよりは、 長く愛されるアーティストに育てたいという意向もあり、楽曲、作詞、ライブも含めてトレーニングから始めました。メジャーデビュー前には、まずはインディーズレーベルでリリースされましたね。

田岡  それは、テストマーケティングということでしょうか。
田岡敬氏
エトヴォス 取締役 COO(最高執行責任者)
リクルート、ポケモン 法務部長(Pokemon USA, Inc. SVP)、マッキンゼー、ナチュラルローソン 執行役員、IMJ 常務執行役員、JIMOS(化粧品通販会社)代表取締役社長を経て、ニトリホールディングス 上席執行役員。2019年1月21日より、エトヴォス 取締役 COO。

鈴木  そうですね。それに、まずはインディーズでしっかり土台をつくり、デビューさせたいとありました。結果、メジャーデビューは、初めて彼女と出会ってから2年後でした。

 お披露目は「unBORDE」創立5周年を記念したフェス。「今年メジャーデビューする、あいみょんです」と、いきなり8000人の前に登場して。

田岡  それは、すごい。

鈴木  8000人の度肝を抜くことができました。詩もそうですが、何よりも歌がうまかった。その頃には、より強いポップソングもしっかりと書けるようになっていたのですが、デビューシングルには、スタッフ満場一致で女子高生の自殺をテーマにした歌を選びました。   
 
メジャーデビュー曲:あいみょん - 生きていたんだよな 【OFFICIAL MUSIC VIDEO】

田岡  結局は、その方向からデビューなんですね(笑)。

鈴木  はい。あいみょんに「もう少し街の情景など書いていけたら良いね」というような話をしていた頃で、他にもすごくいい詩のデモがたくさん見えてきつつあったので、「じゃあ、もともと持っていた感性を消す必要ないし、段階を踏んでいこう」というような話をしたのを覚えています。

 自殺などをテーマにすると、ときとしてラジオなどであまりかけてもらえないデメリットは分かっていましたが、あえて「ラジオでかからない」ことがネットで話題になるとも思っていました。

田岡  放送コードに引っかかるということでしょうか。

鈴木  いえ、どちらかと言うと自主規制ですね。ただ結果的に、発売から約1年後にNHKがテレビで「発売当初、ラジオでかけられなかった曲」と銘打ってパフォーマンスをさせてくれて、少し話題になりました。

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