ビジネスにイノベーションを起こす「思考法」 #05

【吉野家 田中安人】飛び込み営業がきっかけで、マーケティング責任者に就任(聞き手:ニトリ 田岡敬)

前回の記事:
先ず行動、そのリアクションから次のビジネスを考える【ネスレ日本CMO 石橋昌文(聞き手:ニトリ田岡敬)】

 ニトリホールディングス 上席執行役員 田岡敬氏が、第一線で活躍するビジネスパーソンから、キャリアを切り開いてきた背景やイノベーションを生み出してきた思考法を探っていく本連載。

 第3回は、マーケティング領域でコンサルタントとして活躍しながら、吉野家でCMOを務める田中安人氏が登場。これまでのキャリアと、さまざまな実践を経て確立された成果を出すためのスタイルについて聞いた。

飛び込み営業から始まった「CMOへの道」


田岡
 田中さんは吉野家のCMO(チーフ・マーケティング・オフィサー)を務めていらっしゃいます。CMOとして、大切にしていることは何ですか。

田岡 敬 氏
ニトリホールディングス
上席執行役員

リクルート、Pokemon USA, Inc. SVP、マッキンゼー、ナチュラルローソン 執行役員、IMJ 常務執行役員、JIMOS(化粧品通販会社)代表取締役社長を経て、現職。ニトリのデジタル戦略を担当している。


田中 僕のCMOとしての思考回路は、まず物ごとの課題の本質をどう見つけるかということから始まります。本質を見つけたら、課題の本質を解決できるアイデアを考える。そして、そのアイデアの実現に向けて、企業のネームバリューや肩書きは関係なく「この人とやる」という意志を大事にしていて、必要があれば「飛び込み営業」も厭いません 。

 何しろ僕の人生は、実は「飛び込み」というキーワードでつながります。桃太郎さんの鬼ヶ島退治のように、鬼ヶ島という社会課題を解決するために、きびだんごを持って、トリさんやキジさん、サルさんを探し歩いて、目標に向けて仲間を集いながら人生の旅をしているようなものです(笑)。

田中 安人 氏
吉野家 CMO、グリッド
代表取締役社長

大学卒業後、ヤオハン・ジャパンに入社し、経営企画に携わる。ヤオハン倒産後に広告制作会社を経て、広告代理店を起業。その後、グリッド設立。吉野家ではCMOとしてマーケティングを統括。公益財団法人日本スポーツ協会スポーツ広報委員として、日本におけるスポーツの未来設計も行う。


田岡 田中さんは、今でも飛び込み営業をされることはあるのですか。

田中 ありますよ。最近も、複数の企業との企画を実現させたいと思って飛び込みしました。その他にも、「この企画にはあの有名人が相応しい」と思ったら、必ず自分で事務所に電話をして、その有名人を口説きに行きます。普通なら誰かの人脈を通じて接触しようとすると思うのですが、その人のことをその有名人が嫌いだったら上手く進みませんよね。だったら直接、電話した方がいいと思うんです。実は、吉野家で働くことになったきっかけも、飛び込み営業でした。

田岡 それは、どういった経緯だったのですか。

田中 広告代理店の経営メンバーだった時代に飛び込み営業で、当時、はなまるうどんで経営企画室長を務めていた、現・吉野家ホールディングス社長の河村(泰貴)に出会ったんです。

田岡 経営企画長が、飛び込み営業に対応したのですか。

田中 はい。河村には、今でも「飛び込み営業と3時間も話し込んだのは、後にも先にもあの1回だけだよ」と笑われます。

 これは僕の特技なのですが、初めて電話したときに、15秒で自分の価値と仮説から導いた相手の課題をどう解決するかを伝えることが得意なんです。

 はなまるうどんの場合は、四季報を読み込んで、会社の状況を把握してから経営課題を摘出し、仮説を持ってのぞみました。そこである程度、話が進んだ段階で、河村から経営課題に対する投げかけがあり、私はイチかバチかの勝負でその仮説を提言したのです。

 すると河村も同じ経営課題を認識していたようでした。僕が、その課題を理解できた背景には、新卒でヤオハンという巨大流通企業にいた経験も生きたと思います。河村からは、その場で「今日から、うちの広告を全部やってくれ」と言われました。

田岡 すごいですね。

田中 それから、ずっと広告代理店としてお付き合いをし、僕が自分の会社をつくって独立したその日に、河村から「うちに来い」と(笑)。

 僕が「会社をつくったばかりで難しいです」と告げると、「じゃあ、うちの顧問になってくれ」ということで、そこからはなまるうどんのCMOになりました。その後、河村が吉野家の社長になったタイミングで、僕も引っ張られて吉野家のCMOになっています。
 

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