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ビジネスにイノベーションを起こす「思考法」 #06

既成概念で「NO」と言われたことは、成功する【吉野家 田中安人】聞き手:ニトリ田岡敬

前回の記事:
【吉野家 田中安人】飛び込み営業がきっかけで、マーケティング責任者に就任(聞き手:ニトリ 田岡敬)

一社目のヤオハンで人事、経営企画、そして倒産を経験

田岡 はなまるうどんや吉野家で、ユニークな企画を実施してきた田中さんですが、その背景となっている、これまでのご経験をお聞きできますか。



田中
 はい。僕は子どもの頃から商売人になりたくて、松下幸之助さんや稲盛和夫さんの本をたくさん読んでいました。さかのぼると、僕の家は京都伏見で京都四條南座に扇子を卸す「扇子屋」だったことから、売り手良し、買い手良し、世間良しの「三方よし」の近江商人のような考え方が、僕の中にもあったのだと思います。

 中学校に上がってからは、アルバイト禁止の学校だったのですが、先生を説得し、新聞や牛乳配達をしていました。そして、社会人になるとき商売人になるための方法を考え抜いて、当時国内の流通企業として海外で積極的に展開していたヤオハンの和田一夫さんに丁稚奉公したいと思ったんです。

 ヤオハンでは重宝されて、新人のころから経営企画や人事を任されました。26歳のときに、中国で百貨店を立ち上げるプロジェクトに入りました。この百貨店は、今でも存在し、年間1500億円を売り上げる世界最大規模に成長しています。その後もシンガポールやタイ、マレーシアなどアジアをまわりました。

 しかし29歳のとき、国内の経営企画室に勤務していた時に、会社の急拡大で中国への過剰投資が原因で最終的に会社は倒産しました。長期信用金庫、山一証券が倒産する前ですので、社会も僕自身も一部上場企業の倒産に驚きました。そこで初めて、給料は天から降ってこないんだな、と自覚しましたね(笑)。
 

「女子十二楽坊」のヒットを経験

田岡 このときの経験が、田中さんの仕事のベースをつくっているのですね。倒産したあとは、どうされたのですか。

田中 大学時代のラグビー部の先輩が経営していた広告制作会社に入社しました。ラグビー部のOBは広告会社に行く人が多くて、その縁もあって一部上場の広告会社から内定をもらったのですが、その先輩から「一部上場企業に勤めていて会社が潰れたのに、また一部上場にいく奴がいるか」と言われて、「それも、そうだな」と(笑)。

 その会社で、いちから広告を覚え、その後に広告代理店を立ち上げたんです。そこでは、「女子十二楽坊」を日本で売り出したり、スペインの名門サッカーチーム「レアル・マドリード」を日本に来日させたりしました。



田岡
 どのように実現させたのですか。

田中 「女子十二楽坊」は、元音楽会社の社長が「よいコンテンツがあるので先行投資しないか」と話を持ってきたことがきっかけです。この人と自分たちの勘を信じて、投資することに決めました。

 しかし、日本の名プロデューサーと言われる方たちに相談したところ、全員が口を揃えて「売れない」と言うんです。いきなり倒産かと焦ったのですが、素人ながら、なんとか奮起してがんばりました。

 そんな中、あるとき朝のテレビ番組が取り上げてくれて、その日からCDが一気に売れ始めました。投資回収のために3万枚売れればいいと考えていたのですが、あれよあれと5万、10万と売れ出し、最終的には500万枚売れました。

田岡 すごいですね。テレビへのPR活動は、自ら動いていたのですか。

田中 そうです。僕らは、さまざまな所に手探りでPRしていたんです。そして、その成功をきっかけに多くの話が持ち込まれるようになり、その中にレアル・マドリードがあったんです。サッカーにそこまで詳しいわけではありませんでしたが、すでに銀河系最強集団と呼ばれて有名だったため、面白そうだと勘が働きました。

 ただ、正式な交渉ルートも無いところから一点突破で全てを切り開きました。そして競合プレゼンに参加させてもらえることになり、勝ち取ったんです。ちなみに必要な資金は、パトロンを見つけて出していただきました。
 

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