マーケターズ・ロード 鈴木康弘 #01
企業ブランドではなく、個人ブランドで闘う時代へ【デジタルシフトウェーブ 鈴木康弘】
2018/08/21
- セブン&アイ ホールディングス,
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新卒採用試験の役員面接で「社長になりたい」
私のキャリアは、システムエンジニア(SE)からスタートしました。きっかけは、高校生の時、アメリカの未来学者 アルビン・トフラーの著書『第三の波』を読んだことです。情報革命という「第三の波」がやって来て、情報化社会が到来する――その内容に「なるほど、そうかもしれない」と納得し、大学では理系を専攻することを決めました。
理系学生は、研究室推薦でどこにでも就職できる時代。IBM、NEC、富士通、どこに就職しようかと考えていた折に、目に留まったのが、富士通の会社案内に掲載されたキャッチフレーズ「業界の暴れん坊」。自分に合いそうだと感じて、富士通を選びました。
いずれは経営をやってみたいという気持ちは、この頃からありました。とは言え、ベンチャー起業が今ほど当たり前ではなかった時代です。富士通の役員面接で将来の夢を尋ねられて「社長になりたい」と答えた僕に、役員たちがニコニコ笑っていたのを覚えています。
1987年、富士通に入社したと両親に話した際には、「それは、運送会社か?」と尋ねられました。今でこそ多くの人が知る大企業ですが、当時はそれほど知名度が低かったのです。富士通がビジネス向けPC「FMRシリーズ」を、僕が入社して少し経った頃。まさにパソコン時代の黎明期でした。
入社して早々、営業かSEか配属希望を出すことになりました。「コンピュータに関わるなら、やはり技術を身につけたい」と考えてSEを希望。すると、製造、金融と花形業界ではなく、“超”不人気業界の流通へ。のちに長く身を置くことになった流通業界に、社会人1年目から早くも関わることになったのです。
入社1・3年目の成果発表会で、同期社員500人の頂点に
富士通時代を振り返って、特に良かったことは、常に顧客のところに行っていたことです。入社してすぐに“人質”のように客先に出された、まだろくに仕事もできない若者が考えることと言えば、「いかにお客さんに好かれるか」に尽きます。置かれた環境下で生き抜く術みたいなもので、それは社内にいたら身に付かなかったと思います。飲みに行ったときに、タイミングよく灰皿を替える。カラオケで歌うお客さんとママさんのBGM役を買って出る。昭和ですから、それが当たり前でした。ここで身に付けた基本的なビジネススキルは、のちに営業として働く上でも役に立ちました。
SEとして働きながら、ずっと思っていたことは、「現場にこそアイデアがある」ということ。顧客先に行くのが好きだし、顧客と話をするのも好きで、情シス以外の部門の人に話を聞かせてもらうことも多々ありました。「システムは、現場で使われてなんぼ」と思っていたのです。
顧客にとって本当に役立つものをつくりたい、という思いを持つようになったのは、父・鈴木敏文(編集部注:セブン&アイ・ホールディングス前会長)の影響もあったのかもしれません。
父はずっと「美味しければ、商品は売れる」とずっと言い続けていました。お客さんに「美味しい」と言われることが重要なのであって、競合よりどうかということは関係がない。それはコンピュータであっても同様だと思うのです。
お客さんのところに行き、お客さんの話を聞き、構築したシステムに対するお客さんの感想を聞く――言葉にすれば当たり前のようですが、「使われる」ことを強く意識して、システム構築に取り組んでいました。
<続きは、「転職を思いとどまらせた父・鈴木敏文の言葉、そして孫正義との出会い」は、22日公開予定です>
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