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マーケターズ・ロード 鈴木康弘 #02

転職を思いとどまらせた父・鈴木敏文の言葉、そして孫正義との出会い【デジタルシフトウェーブ 鈴木康弘】

前回の記事:
企業ブランドではなく、個人ブランドで闘う時代へ【デジタルシフトウェーブ 鈴木康弘】

「石の上にも3年」、父・敏文氏の言葉

 1990年代、私が所属する富士通にもバブル入社組がどんどん入社してきました。入社4年目を迎えた26歳のときには主任に昇進。当時の富士通で主任というと、30代前半くらいのイメージですから、早かったと言えます。20人もの部下を抱えて、大きなプロジェクトのリーダーを務めるようになりました。

 そこで初めて直面したのが、「マネジメント」の課題です。

 部下の中には自分より年上の社員もいる中で、どう立ち振る舞えばプロジェクトを成功させることができるのか。どうやったら人は動くのかと真剣に考え、ピーター・ドラッカーの『マネジメント』も読み込みました。そうして自分なりに導き出した結論は、「敬語で無理を言う」ということ(笑)。

 そうした中、外資系IT企業から初めてヘッドハンティングのオファーを受けました。

 入社5年目、27歳。コンビニや百貨店を顧客とする数百人規模のプロジェクトを担当していた頃のことです。自著『アマゾンエフェクト!』(プレジデント社)にも書きましたが、父親に話したところ、「石の上にも三年」と言われ、転職を思いとどまりました。



 当時は、「父親が、僕にとって悪いことを言うことはないだろう。じゃあ、ちょっと様子を見てみるか」という気持ちだったように思います。ボソッと言われた一言でしたが、今振り返ってみると、ありがたい一言でしたね。もしすぐに転職していたら、今とは全く異なる人生を歩んでいた気がします。

 父に、普段から仕事やキャリアについて相談していたかというと、全くそういうことはありませんでした。むしろ逆。講演などでは流暢に話す父ですが、家ではほとんど喋りません。そのときも、「ヘッドハンティングされたから、転職しようと思ってるんだ」と何の気なしに話しただけ。そうしたら、なぞかけのような一言を残して、その場を去ったのです。

 昔からそんな具合だったので、特に違和感はありませんでしたが、その言葉が何を示唆しているのか、自分なりに考えました。人間は、駄目だと思ってからもうひと頑張りすると、見えてくるものがあったりする。そんなふうに解釈し、なるほどねと納得したのです。
 

シンガポールで文化の違いに苦労

 そうして3年間、富士通で仕事に取り組んでいたら、29歳のときに海外駐在をすることになりました。日系小売企業のシステム担当として、シンガポールへ渡ります。現地で実働部隊として使っていたのは、インドの企業。しかし、なにしろ文化や宗教がまるで違いますから、まずコミュニケーションがとれない。

 日本国内では、富士通と言えば協力企業は動いてくれましたが、インド人社員たちは「富士通」なんて誰も知りません。ここでもマネジメントの課題に直面したのです。そこで、まずは宗教の勉強をしました。
 
版権: javarman / 123RF 写真素材
 頭にターバンを巻く意味、食物の禁忌、祈りの儀式……自分の常識の範疇に収まらない物事が、世の中にはたくさんあるのだと学びました。また、「富士通」の看板ではなく、仕事とは別の場で築いた人間関係を使って仕事をするという経験も大きかったですね。

 デカン高原でキャンプファイヤーをして、歌を歌いながら、ひとりの人間同士として関係を深めていったことで、仕事は格段にスムーズになりました。

 この海外経験は、のちにソフトバンクへの転職を決める大きな要因のひとつとなりました。会社の看板で仕事をするのは意味がないし、僕が望む働き方ではないと感じるようになったのです。企業ブランドではなく、自らの個人ブランドで仕事をしなければならない――そんな思いを抱き始めたのがこの頃でした。
 

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