マーケターズ・ロード 鈴木康弘 #03

課長の自分が部長たちを前に「部長の人数を半分にする案」を提案【デジタルシフトウェーブ 鈴木康弘】

前回の記事:
転職を思いとどまらせた父・鈴木敏文の言葉、そして孫正義との出会い【デジタルシフトウェーブ 鈴木康弘】

「部長の人数を減らすべき」と主張して、課長から部長に昇進

 1998年、ソフトバンクでの3年目に、当初掲げていた目標「自分が正しいと思うことを提案する」を実行に移しました。

 具体的に、何を提案したのか。それは、「部長の人数を半分に減らす」というものでした。

 当時のソフトバンクは上場した直後で、現状に満足して仕事をしていない部長が増えていたのです。そこで、自社の未来を思うなら、部長を半数に減らすべきとの考えをまとめた企画書を作成し、孫(正義)さんのところへ持って行ったのです。

 最悪、孫さんの逆鱗に触れてクビになっても仕方がないと覚悟していました。

 しかし、孫さんも同様の課題意識を持っていたのでしょう。「鈴木くんの言う通りだ。これから部長会をやるから一緒に来なさい。みんなにこのプランを説明してくれ」と言われ、なんと、そのまま部長会へ。

 課長である自分が、部長たちを前にして「部長の数を半分にするという提案」をすることになったのです。



 しかも、孫さんが「このプランでいこうと思う。ついては鈴木くん、責任をとって君が部長になりなさい」などと言い出すものですから、もはや針のむしろでした(笑)。
 
 当時のソフトバンクの部長職は平均40歳でしたから、32歳での部長は異例の若さだったと言えます。
 

営業上の工夫で、利益率を高める

 こうなると、営業でトップにならないと示しがつきません。そこで、僕はある作戦に出ました。当時、ソフトバンクでは、それまでのPCソフトウェアの卸販売に加え、シスコ製のネットワーク機器の販売にも乗り出していました。

 トップの大号令で決まった方針ではありましたが、PCソフトウェアを売っていた会社が、急にネットワーク機器を売れるはずがない。

 体制が整わなければあまりにリスクが大きいと考えた僕は、「ネットワーク機器は売るな」と自分の部下に厳命しました。その代わり、ネットワーク機器を売らずに数字をつくる方法を考えたのです。

 それは、ちょっとした価格交渉の工夫でした。顧客から注文を受けた際に提示する仕切価格を、70%→69%→68%と1%刻みではなく、70%→69.5%→69%と0.5%刻みにすること。たったそれだけですが、値下げ交渉が当たり前の商慣習の中で、効果てき面でした。

 体制が未整備の中でネットワーク機器を取り扱った他部門が次々とトラブルに見舞われる中、僕の部だけ利益率がアップ。孫さんは「なぜみんな、鈴木の部と同じようにやらないんだ!」と怒っていましたね。
 

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