マーケターズ・ロード 富永朋信 #02

父への反発から、外資系企業へ。マーケティングの“いろは”を学ぶ【イトーヨーカ堂 富永朋信】

コダック退職と、二度目のCCJC入社断念

 日本コダックには6年間勤めました。コミュニケーション部門での経験はもちろんのこと、その後に異動した商品開発部門での経験も、得るものが大きかったです。

 日本コダックは京大の先生と良好な関係を築いていたので、話をする中で「こんなフィルムがほしい」という声を聞くこともしばしば。

 しかし、当時のコダックは世界的大企業で、数ある市場のひとつでしかない日本から「京大がこんなフィルムを求めているので、つくってほしい」と要望したところで、なかなかつくってはもらえません。

 ただ、あるとき「こんなビジネスケースがあって、もし京大で使ってもらえれば高いPR効果が期待でき、ひいてはこんな成果につながっていくと考えられる」といったプランを緻密に組み上げ、粘り強く掛け合った結果、要望した製品をつくってもらうことができたのです。

 ものはやりよう。やってみれば、意外と実現できることは多い。

 「物事を成すために、背景を踏まえ、戦略を構想し、ビジネスプランを組み立てる」というビジネスの基本的な型を身につけることができました。

 そうするうちに、アナログフィルム業界に激震が走る出来事が起こりました。キヤノンが「デジタルラジオグラフィ」、富士フイルムが「コンピューテッドラジオグラフィ」を開発。

 レントゲンは、人体にX線を照射し、透過したX線をフィルムに写し取るという手法。一方のラジオグラフィは、X線画像の検出媒体にスクリーン/フィルムに代わってイメージングプレート(IP)を使用し、IPに蓄積されたX線画像情報をデジタル化します。

 デジタル化された画像は、フィルムに出力するもできるし、デジタルデータとして保存することもできます。これにより、これまでレントゲンでの診断に付き物だったさまざまな課題が一挙に解決されたのです。

 まさに、革命的な出来事でした。



 かくしてアナログフィルムの需要は瞬く間に落ち込み、それに伴って、僕が異動したばかりの頃は、花形部署だったチームも大幅な縮小を余儀なくされました。そのうち、営業部門への異動と、同時に大阪への転勤を言い渡されました。

 いま振り返れば、それほどのことでもないように思えますが、当時の僕には“都落ち”という感覚が強く、退職することを決めたのです。

 転職活動では、再びCCJCを受けましたが、またしても入社は叶わず。同時に人材紹介会社から紹介されていたウェブ・ティービー・ネットワークスに入社しました。1998年、28歳のときのことでした。

 
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