マーケターズ・ロード 横山隆治 #02

DAC設立のきっかけは、伊藤穰一氏(MITメディアラボ所長)。横山隆治氏が故・稲垣正夫氏に直談判

前回の記事:
アドマンは、広告主に鍛えられる【デジタルインテリジェンス 横山隆治】

DAC創業:伊藤穰一氏、そしてインターネット広告との出会い

 旭通信社(以下、旭通。現・アサツー ディ・ケイ)で、キリンビールさんの営業担当としては、小岩井乳業(キリングループ)の乳製品やトマトジュースから始まって、メッツのような飲料、そしてビールのテレビCM制作(その頃は、僕の手を離れていましたが)まで担当できるようになり、できることを「やりきった」と感じるようになったのと時を同じくして、転機が訪れます。

 伊藤穰一(Joi)くんとの出会いです。僕にインターネットの存在と可能性を教えてくれたのは、ほかでもない彼でした。今でこそ、マサチューセッツ工科大学教授やMITメディアラボ所長を務める彼ですが、当時は、“インターネットに詳しい変わったやつ”(笑)。

 僕は、Joiが日本に持ち込んだプロバイダー「PSINet」の会員になりました。日本全体でインターネットユーザーが3000人に満たない時代、しかもそのほとんどが情報システム関連の人という時代でしたから、文系のアドマンというのは極めて珍しかったでしょう。

 富ヶ谷のマンションの一室にあった、Joiが社長を務めるエコシス社(編集部注:1994年設立。のちに伊藤氏が設立するデジタルガレージと合併)オフィスの、大きなワークステーションで見せてもらったのを覚えています。本当かどうかわからないけれど、「いま、NASAをハッキングしている」なんて言っていましたね(笑)。

 ブラウザは、まだモザイクがあるかないか。できたことと言えば、メールのやりとりや、ゴーファーやニューズグループ。ニューズグループ内にあるMIDIファイルで、海賊版のレッド・ツェッペリンやデビッド・ボウイのチープな音源をダウンロードするくらいが、最初のインターネット体験でした。

 僕にインターネットを教えたのがJoiなら、DAC立ち上げのきっかけをつくったのも彼でした。

 1995年末、孫正義さんが米ヤフーを日本に持ち込み、電通とソフトバンクでメディアレップ(編集部注:サイバー・コミュニケーションズ、以下cci)を立ち上げるという計画を聞きつけたJoiと林くん(編集部注:伊藤氏と林氏は、1995年夏にデジタルガレージを共同創業)が、「横山さん、米国にはヤフーと双璧をなす『インフォシーク』というポータルサイトがある。それを日本に導入するから、一緒にメディアレップをつくらないか」と声をかけてくれたのです。
 
横山隆治 Ryuji Yokoyama
デジタルインテリジェンス 代表取締役
1982年、青山学院大学文学部英米文学科卒。同年、旭通信社入社。1996年、インターネット広告のメディアレップ、デジタル・アドバタイジング・コンソーシアムを起案設立。同社代表取締役副社長に就任。2001年、同社を上場。インターネットの黎明期からネット広告の普及、理論化、体系化に取り組む。2008年、ADKインタラクティブを設立。同社代表取締役社長に就任。2010年9月、デジタルコンサルティングパートナーズを主宰。企業のマーケティングメディアをPOEに再整理するトリプルメディアの考え方を日本に紹介。2011年7月から現職。主な著書に『CMを科学する』(宣伝会議、2016年)、『新世代デジタルマーケティング』(インプレス、2015年)など。

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