マーケターズ・ロード 横山隆治 #02

DAC設立のきっかけは、伊藤穰一氏(MITメディアラボ所長)。横山隆治氏が故・稲垣正夫氏に直談判

故・稲垣正夫氏に、DAC設立を直談判

 闘う相手が電通とソフトバンクであるのに対し、こちらが旭通とデジタルガレージでは心許ない――当然、博報堂さんを巻き込むことになりました。

 僕は稲垣さん(故・稲垣正夫氏)に、当時50万円もしたアキアのラップトップPCを開いて、インターネット広告について説明しながら、旭通・デジタルガレージ・博報堂で立ち上げるDACの構想を話しました。現在の朝日広告社13Fにある、役員応接室でのことです。

 稲垣さんがラップトップの画面を眺めながら「横山さん、これはミニコミですね」と言ったのが、今も忘れられません。その時点で、稲垣さんがインターネット広告がビジネスになるという“確信”まで持てていたかはわかりませんが、少なくとも何か“匂い”は感じていたのでしょう。構想に対し、稲垣さんは概ね肯定的でした。



 実は、僕が話をする2週間ほど前に、稲垣さんは博報堂の近藤道生会長(当時)と会食して、「旭通と第一企画を合併させるので、電通に対抗する勢力を一緒につくりましょう。競合するだけでなく、時と場合によっては積極的に協業していきましょう」という話をしたのだと、だから「横山さん、これはいいお話ですね」と言ってくれました。

 当時の僕は、営業部門内に設置されたサイバービジネス開発室を率いる立場ではあったものの、いわゆる役員ではなかった。一般的に考えれば、経営トップからそんな重要な話をしてもらえるような立場ではなかったのです。

 しかし、当時の稲垣さんは現場社員との距離がとにかく近い人でした。社長室とは別に、社員と同じフロアにもデスクを置いていて、僕は新入社員時代から稲垣さんと同じ空間で仕事をしていました。僕ら世代の旭通社員にとって、稲垣さんと一対一で会話をすることは、そう珍しいことではなかったのです。

 かくして1996年、博報堂、旭通、第一企画、読売広告社、I&S BBDO、デジタルガレージによって、DACが発足しました。
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ヤフーを取り扱いできないハンディが、逆にDACに力を与えてくれた【デジタルインテリジェンス 横山隆治】
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