マーケターズ・ロード 横山隆治 #03

ヤフーを取り扱いできないハンディが、逆にDACに力を与えてくれた【デジタルインテリジェンス 横山隆治】

前回の記事:
DAC設立のきっかけは、伊藤穰一氏(MITメディアラボ所長)。横山隆治氏が故・稲垣正夫氏に直談判

インターネットを広告媒体化するために悪戦苦闘

 時は、インターネット広告黎明期。DACを設立して先取りしたのはいいものの、当然、苦労は絶えませんでした。インフォシークは、毎日12万PVを超えるとサーバーが落ちるという原因不明の現象がずっと続いていました。

 トップページに1週間広告を表示して100万円といった契約でしたから、サーバーが落ちると広告代理店のおじさんたちは、「こんなのは“放送事故”だから料金を3倍返ししろ!」なんて言ってきたりする。

 僕は「まだ確立された技術ではありませんし、落ちてもせいぜい10~20分なので……」とおじさんたちをなだめる一方で、サーバーを管理しているJoi(伊藤穰一氏・MITメディアラボ所長)の友人たちに「サーバーを落とすな!」と檄を飛ばしていました。

 彼らとしては「サーバーは落ちるのが当たり前」なのですが、そんなことを言っていたら広告ビジネスは成り立たない。「どうせ落とすなら、誰にもバレない明け方に落とせ!」なんて言っていましたね(笑)。

 インターネット技術と広告ビジネスをいかにマージさせるか、言い換えるとインターネットをいかに広告媒体化していくかが、僕の最初の仕事でした。

 印象深いのは、DACが東京広告業健康保険組合に加入するために、「インターネットが広告媒体であると立証できる資料」を作成しなければならなかったことです。僕は、インターネットはメディアであり、トランザクションのチャネルでもあると理解していましたし、インターネットが今後面白くなってくると確信していましたが、当時は、そう考える方が少数派でした。

 2000年にはインターネット広告推進協議会(JIAA)の立ち上げにも携わり、電通の柏原くんと、一緒に約款やガイドラインをゼロから作成しました。

 Web研(日本アドバタイザーズ協会 Web広告研究会)との共同プロジェクトで、インターネット広告用語集の編纂を手がけたことも思い出深いですね。いまや誰もが当たり前のように使っているけれど、「ユーザーがアクセスしたページの表示回数を『ページビュー』という」「そのページで広告が表示された回数を『インプレッション』という」といった定義をしたのは、僕たちだったんですよ(笑)。
 
横山隆治 Ryuji Yokoyama
デジタルインテリジェンス 代表取締役
1982年、青山学院大学文学部英米文学科卒。同年、旭通信社入社。1996年、インターネット広告のメディアレップ、デジタル・アドバタイジング・コンソーシアムを起案設立。同社代表取締役副社長に就任。2001年、同社を上場。インターネットの黎明期からネット広告の普及、理論化、体系化に取り組む。2008年、ADKインタラクティブを設立。同社代表取締役社長に就任。2010年9月、デジタルコンサルティングパートナーズを主宰。企業のマーケティングメディアをPOEに再整理するトリプルメディアの考え方を日本に紹介。2011年7月から現職。主な著書に『CMを科学する』(宣伝会議、2016年)、『新世代デジタルマーケティング』(インプレス、2015年)など。

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