あなたのクリエイティブ・ジャンプは何ですか?~ネプラス・ユー京都2024 特別企画~ #09
社員を2人増やして売上6倍にジャンプ、日本最大級のDIY専門店・大都の流儀【ネプラス・ユー京都2024特別企画】
アートとサイエンスを突き詰めて、ビジネス効果を飛躍的に押し上げる「クリエイティブ・ジャンプ」は、どのように生み出されるのか? そんなテーマに真っ向から挑むマーケティングカンファレンス「ネプラス・ユー京都2024(2024年5月20日・21日/ナノベーション主催)」に関連して、「あなた(貴社)のクリエイティブ・ジャンプ」を訊ねていくAgenda noteの本連載。
今回は日本最大級のDIY専門オンラインショップ「DIY FACTORY」や、職人向け工具の通販サイト「トラノテ」を運営する大都(大阪市)の「ジャック」こと山田岳人代表取締役が登場する。
老舗工具問屋の娘と結婚したことで入社し、旧来の商慣習の壁にぶち当たったジャックが、たった1人で始めたEC事業を社員わずか30人で売上70億円にまで成長させることができたのはなぜなのか。楽天ショップ・オブ・ザ・イヤーを4年連続で受賞し、22期連続増収を果たす大都の「クリエイティブ・ジャンプ」とは。
今回は日本最大級のDIY専門オンラインショップ「DIY FACTORY」や、職人向け工具の通販サイト「トラノテ」を運営する大都(大阪市)の「ジャック」こと山田岳人代表取締役が登場する。
老舗工具問屋の娘と結婚したことで入社し、旧来の商慣習の壁にぶち当たったジャックが、たった1人で始めたEC事業を社員わずか30人で売上70億円にまで成長させることができたのはなぜなのか。楽天ショップ・オブ・ザ・イヤーを4年連続で受賞し、22期連続増収を果たす大都の「クリエイティブ・ジャンプ」とは。
人件費は「コストではなく投資」
―― 大都ではイングリッシュネームで呼ぶのが決まりと聞いたので、今日はジャックと呼ばせていただきます。ジャックにとって一番の「クリエイティブ・ジャンプ」は何でしたか?
工具問屋からECサイト運営に業態変化したことでしょうか。大阪の老舗工具問屋の娘と結婚してリクルートを辞め、1997年に28歳で入社しました。前職と同じようにスーツで行ったら作業服に着替えさせられ、生まれて初めてトラックを運転して商品の配送に出されました。メーカーから工具を仕入れ、西日本のホームセンターに配送する日々。前職でトップ営業マンだったので意気揚々と入社したのですが、業界の慣習に叩きのめされましたね。
問屋にとって小売店の「棚取り」は死活問題でした。棚を取るために低価格にせざるを得ず、小売の値札を貼って店頭に陳列までするといった過剰なサービスが横行していました。支払いについては「180日間の約束手形」という慣習があり、収入が入るのは半年先という世界です。このようなビジネスモデルでは到底、大手に勝てるはずがない。儲からないという以上に「日本一の問屋になれない」「夢がない」というのが辛かったです。
大都 代表取締役
山田 岳人 氏
大学卒業後、リクルートに入社。6年間の人材採用の営業を経て、創業1937年の総合金物工具卸売業「株式会社大都」に入社。2002年にEC事業を立ち上げる。2011年、代表取締役に就任。B2B(事業者向け)通販サイト「トラノテ」、B2C(モール出店)ECサイト「DIY FACTORY」を運営。日本の住まいを自由にすべく取引先とのデータ連携システムを自社開発し工具業界のサプライチェーンプラットフォームを構築。
山田 岳人 氏
大学卒業後、リクルートに入社。6年間の人材採用の営業を経て、創業1937年の総合金物工具卸売業「株式会社大都」に入社。2002年にEC事業を立ち上げる。2011年、代表取締役に就任。B2B(事業者向け)通販サイト「トラノテ」、B2C(モール出店)ECサイト「DIY FACTORY」を運営。日本の住まいを自由にすべく取引先とのデータ連携システムを自社開発し工具業界のサプライチェーンプラットフォームを構築。
新しいことをやりたいと思っていた頃に、たまたま友人との忘年会で「これからはインターネットの時代」と聞いてパソコンを買い、2002年にたった一人でECサイトを立ち上げました。初めてECで買ってくれたお客さまが、福島の人だったことに興奮しましたね。商圏が全国、世界まで広がる可能性を感じました。
初月売上30万から始まり、昼間はトラック配送、夜中に送り状に手書きする日々を1年半続けました。月商100万を達成した時、初めてEC専属スタッフを1人雇いました。そうすると、私が配送している昼間も商品登録や顧客対応ができるようになったおかげで、飛躍的にECの売上が伸びたのです。「もっと早く人員を増やせばよかった」と後悔しました。この時、「人件費はコストではなく投資だ」と発想が切り替わったのです。その時に入った女性は、今も働いてくれています。
採用を強化してECの売上はどんどん伸びました。小売におもねることなく正規の値段で売れること、入金が早いことなどから収益性が高く、頑張れば頑張るだけ成果が上がりました。一方、本業の問屋業は赤字。「あと1年頑張っても黒字化しなかったら廃業します」と社員を鼓舞しましたが、1年後も赤字でした。代表である義父と専務である私以外、誰も会社の売上がいくらかも知らないような状態で働かせてしまっていたので、「危機だから頑張れ」と急に言われても、変わることはできなかったのです。
事業で「踏ん張り」がきくかどうかは、組織のカルチャーにかかっていると痛感しました。2007年に退職金を支払い、ECサイトの人員以外は全員解雇。厳しい決断でしたが、会社が変わるためには必要な選択だったと思います。EC事業は右肩上がりで伸び続け、2012年に問屋業を完全にやめてECに特化しました。