ダイレクトアジェンダ2024 #06

中川政七商店会長が、あえて「マーケティング」と「ブランディング」を分けて考える理由【ダイレクトアジェンダ2024レポート】

前回の記事:
「ダイレクトアジェンダ2024」開幕、オープニングセッションに中川政七商店 代表の中川政七氏が登場
  直販・通販事業に携わるトップマーケターが集結するカンファレンス「ダイレクトアジェンダ2024」が、2024年3月7日から9日にかけて鹿児島県鹿児島市で開催された。キーノートでは、「ライフスタイルの時代からライフスタンスの時代へ」と題して、中川政七商店 代表取締役会長の中川政七氏がスピーカーとして登壇し、シンクロ 代表取締役社長の西井敏恭氏がモデレーターを務めた。

「ライフスタンス」とは、中川政七氏が2010年頃に生み出した造語であり、商品やサービスが溢れる現代において、消費者行動に移り変わりが生じていることに関連する言葉であり、今年のダイレクトアジェンダ2024は「ライフスタンス」という全体テーマで実施された。本記事では、「ライフスタンス」の真意や「マーケティング」と「ブランディング」の捉え方、ダイレクトマーケティングの領域に限らず企業として大切にするべき姿勢やスタンスについて深掘りしたセッションをレポートする。
 

ブランディング的な思考で、20年間継続的に売上を拡大


西井 ここ数年のダイレクトアジェンダでは、「ナラティブ」という言葉がずっとテーマになっています。つまり、単に広告を出しているだけでは売れない時代になり、きちんとお客さまを理解し、それに対して企業がどうあればいいかを考えなければならない時代に変わってきているということです。

その中で以前、中川政七さんにCMT(Chief Marketing Technologist)を務めているオイシックス・ラ・大地の社内講演で「ライフスタンス」についてお話しいただき、40年にもわたってブランドビジネスに携わっているベテランからも「光が見えた」というコメントをもらいました。そこで今回、ダイレクトアジェンダの最初のキーノートとして中川さんにお話しいただきたいと思っています。本日は、よろしくお願いします。

中川 よろしくお願いします。

西井 まずは、中川さんの自己紹介をしていただけますか。
 
中川政七商店 代表取締役会長
中川 政七 氏

  1974年生まれ。京都大学法学部卒業後、2000年富士通株式会社入社。2002年に株式会社中川政七商店に入社し、2008年に十三代社長に就任、2018年より会長を務める。業界初の工芸をベースにしたSPA業態を確立し、「日本の工芸を元気にする!」というビジョンのもと、業界特化型の経営コンサルティング事業や教育事業を開始。現在は学生経営×地方創生プロジェクト「アナザー・ジャパン」や、志あるブランドを世の中に届ける共同体「PARaDE」を発足。企業やブランドのビジョン・思想を「ライフスタンス®」と提唱し、新しい経済の形を生み出している。2015年には、独自性のある戦略により高い収益性を維持している企業を表彰する「ポーター賞」を受賞。「カンブリア宮殿」「SWITCH」などテレビ出演のほか、経営者・デザイナー向けのセミナーや講演歴も多数。著書に『日本の工芸を元気にする!』(東洋経済新報社)、『ビジョンとともに働くということ』(祥伝社)、『経営とデザインの幸せな関係』、『中川政七商店が18人の学生と挑んだ「志」ある商売のはじめかた』(日経BP社)他

中川 私が会長を務める中川政七商店は、300年ほど前の江戸時代中期に、奈良晒(ならざらし)と呼ばれた高級麻織物を扱う問屋として創業しました。しかし、主な供給先が武士だったため、明治に入ると一気に廃れていきます。同業の人々が商売を変える中、私の曾祖父は製造まで事業を拡げながら、細々と奈良晒を扱い続けてきました。

その後、お茶道具にも取り扱いを広げていくのですが、父の代に祖業である麻織物を使って何かしようということで、母が生活雑貨の事業をスタートしました。しかし、その事業は生産管理もろくになっていない状態で、赤字になっていました。

一方で、私は新卒から2年間富士通に勤め、2002年に中川政七商店に入社。生活雑貨の事業の立て直しに従事し、業務改善に加えて、卸から直営へシフトさせました。

そのときに考えたのは、「いかにものを売るか」という感覚では限界があるということです。中長期的に勝ち続けるためには、その感覚から抜け出して、ブランドとして認知されるようにしていかなければなりません。それには、お客さんの目の前まで行ってコミュニケーションをするしかないと考え、直営店にシフトしたんです。

店舗がうまくいきだしたのは、2006年に表参道ヒルズに10店舗目を出店したタイミングです。そこから、いろいろなことが整いだしました。国内で手作りしている工芸品なので生産数に限りがあり、売上が一気に2倍などに跳ねることはありませんが、毎年平均15%アップを続け、20年ほどで約20倍になりました。

経営がうまくいき始めると、経営者はあまりやることがなくなります。そんなときに、ふと「何のために働くのだろう、何のためにうちの会社はあるのだろう」と考えるようになりました。世の中を見れば、特に大きな会社にはビジョンというものがあり、確かにそれがなければ頑張れないなと思いました。そこで当社は「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを打ち立てて、売上や事業の継続はそのための手段にすぎないという考えに変えていきました。そこから会社の質が変わって、現在につながっていると思います。

これまでの20年を振り返って一番大きかった変化のひとつは、このビジョンを掲げたことです。また、少しずつでも持続的に売上を伸ばしていこうと考えることで、組織がマーケティングよりもブランディング的な思考に変わったこともよかったと思います。

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