SNS・消費行動から見えてくるアラサー女子のココロ #36

2023年はZ世代論、やめませんか? 感度の高いマーケターは気づいている「世代論の終焉」

前回の記事:
トレンド観察している場合じゃない!若者世代から学ぶ、現代における「情報の読み方」
 

今年こそ、世代論、やめませんか?


「2023年のはじまりに合わせた原稿を書くのはいかがですか?」と編集者さんに言っていただいて最初に思いついたのは、このセリフだった。

 私自身「○○世代」にまつわるテーマでこれまでたくさん記事を書いてきたし、そうやって何年もメディアでお仕事をさせてもらえるほど、「○○世代カルチャー」について紹介する記事の人気がものすごく高いのも知っている。それゆえ、明言しづらい気持ちもあるのだが、2023年最初の記事だからこそ言いたい。

「今やもう、世代論で若者を語るのは難しい」

 その事実は、世代論で記事を書いてきたからこそ誰よりも自分自身が感じているし、最近「若者論」を書いている人たちとよく話題にも挙がるのだ。

 私はソーシャルメディアやSNSプラットフォームについて長年記事にしてきたけれど、その観点で見ても、人を世代論で語るのは難しくなっていると感じる。というのも、ソーシャルメディアがもたらした情報摂取の態度変容の代表例が「分断」だと思うからだ。

 2010年代からすでに、ソーシャルメディアが「分断」「二極化」を生むことは示唆されてきた(参考:総務省「インターネットの利用は世論を二極化するのか」)が、その結果が米国の選挙結果などに現れるようになってから、この危険性はさらに議論されるようになった。



 そもそも、人の可処分所得や興味がお金になるシステムが発達したことで、アテンション・エコノミーが成長した。それ以来、私たちはずっと “レコメンド” を映すディスプレイに取り囲まれるようになっている。

 より平易な言葉で言えば、「よりユーザに広告をクリックさせるため or そのサービスを長く使ってもらうために」「取得した行動データに沿って」「ユーザーの見たいものを個別に見せる」ことが当たり前になっている。

 ユーザー目線でいうと、もうずっと私たちは「自分好みのディスプレイを見ている」のであって、「毎日一緒にいる家族でさえも、見ているディスプレイが違う」生活を送っているのである。

 バラバラのディスプレイを見ることによって、分断は生まれる。「トレンド」も「常識」も「世の中の空気」も、実は見ているものはみんな違う。それをマイルドに伝えているのが、2010年代からマーケティングメディアが繰り返し伝えている「マスの消失」だ。

 そして同時にこれらが、もうすでに「世代論」がこの時代に無効化されている理由なのである。

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