マーケティングは、どこまで人間を理解できるのか #22

消費者起点というマーケティングの基本を見失わない「脳の動作原理」

前回の記事:
消費者はなぜ決断を先延ばしにするのか、最新脳科学から推論する対策とは?
 

今回の着目点


 アフォーダンスとシグニファイア、感覚マーケティング、ナッジ。これらは読者の皆さんにとって、どのくらい馴染みがある言葉でしょうか。

 これらの概念には、それぞれ異なる背景や理論的基盤があり、応用される分野や文脈にもオーバーラップはありつつも少し違いがあるように感じます。たとえば、プロダクトデザインやUI/UXにおけるアフォーダンス、店頭プロモーションでの感覚マーケティング、公共政策においてのナッジなどが事例としてよく見聞きされます。

 しかし一歩引いてみると、それらの概念には、直感的なレベルで人間の行動に影響を与えたり誘導したりするという点において、共通の側面も多いように感じます。今回は、それぞれの概念を簡単におさらいし、最後に、それらの共通項について、この連載で注目している脳科学の枠組みで検討して、マーケティングへの示唆につなげていきます。

 少し長いので、知っている部分は、どんどん読み飛ばしていってください。
 

アフォーダンスとシグニファイア


 アフォーダンスは、デザインの分野などで頻繁に耳にした時期がありましたが、最近はあまり聞かなくなったような気がします。しかし、ユーザー中心主義という大事な概念に直結する考え方でもあり、マーケティングにおけるその重要性は普遍的であると思います。

 あまり聞かなくなった理由のひとつに、多少の誤解もあると言われていますので、もう一度ここでアフォーダンスについて、経緯とともに振り返ってみましょう。

■ ギブソンによるアフォーダンスの提唱

「アフォーダンス」の概念のルーツは、1960年代から70年代にかけてジェームス・ギブソンという心理学者の研究にさかのぼります(脚注1, 2)。「与える」「供給する」という意味を持つ「afford」に由来するある種の造語で、物体や環境が個人に提供する使い方や行動の機会を指します。

たとえば、椅子だったら「座る」、エレベーターのボタンなら「押す」という動作が「アフォードされる」という具合です。ただし、ある物体が提供するアフォーダンスはひとつとは限らず、受け取る側の知覚やニーズ、状況や知識などによっても異なります。たとえば、椅子は「座る」という行動の他にも、「踏み台にする」や「モノを置く」、「ドアが閉まらないようにストッパー代わりに置く」など、いろいろな行動の可能性を提供します。



 ギブソンは、人間を含む生物が周囲の環境を知覚し、それらに働きかける際に、アフォーダンスが基盤的な役割を果たすと考えました。人間の知覚や行動が、感覚情報を受動的に受け取って処理することで成り立つのではなく、対象との能動的な関わりに基づくものだという考えを提供した点で革新的でした。

■ ノーマンによるシグニファイアの導入

 このアフォーダンスという用語を、マーケティングに関連する分野に広めたのは、その著書『誰のためのデザイン?』でも有名な認知科学者のドナルド・ノーマンでしょう(脚注3)。しかし、ノーマンのアフォーダンスの概念は、オリジナルと少し異なっていました。

 どう違ったかというと、ノーマンの文脈ではアフォーダンスは、たとえば、ビールジョッキの握りやすい取っ手や水道の赤・青(お湯と水)のサインのように「ある行為を直感的に誘導するためのデザイン」や「物をどのように取り扱ったらよいかを判断するための手がかり」というような意味で使われたのです。

 本来アフォーダンスは、モノと人が存在しているだけで生じるすべての関係性を指していたはずですから、ずいぶんな違いです。それで、後にノーマン自身も誤用と認め、代わりに提唱したのが「シグニファイア」という概念です。「知らせる、意味する、示す」などの意味のsignifyに由来するsignifierですね。「モノが人に対して意味する(示す)行動の手がかり」というようなニュアンスです。

 最もよく使われる例の一つが、ドアのハンドルの形状です。押したり、引いたり、ノックしたり、蹴破ったり、潜在的に存在するドアと人との関係性が「アフォーダンス」です。それに対して、下の写真(脚注4)では、ドアノブのところがフラットな板状か握るようになっているかによって、押すのか引くのか直感的に知らせる形状になっています。これが「シグニファイア」です。
 
 

 なので、UI/UXやプロダクトデザインの文脈で重視すべきなのは、アフォーダンスというよりはシグニファイアのほうなんですよね。

 言うまでもなく、シグニファイアは、色や形状だけでなく、文字や記号、言語だったり、効果音だったり、質感・テクスチャだったり、さまざまな形式が考えられますし、日常生活のさまざまな場面で出くわしているでしょう。

 世界中の信号機の大半で「止まれ」は赤色、「進め」は青色または緑色です。Webサイトのリンクボタンも、影をつけて立体的にすることで、「押せそう」な感じを示して、自然にクリックすることを誘導していますよね。

 いずれにしても、ノーマンの主張にあるとおり、技術・操作主導の開発ではなくて、それを扱うユーザー、人間を中心に見据えたデザイン・開発、という視点の重要性は普遍的であるものと思います。

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