マーケティングは、どこまで人間を理解できるのか #21

消費者はなぜ決断を先延ばしにするのか、最新脳科学から推論する対策とは?

前回の記事:
マーケティングは、あらゆる事象に生じる「消費者の感情」を軽視してはいけない
 

消費者の決断を後押しするには?


「ねえ、お盆休みの旅行の計画どうする?」

「うーん、どうしよう。今月末に大事なプレゼンがあるから、それが終わったら決めようかな。」

「ええ? なんですぐに考えられないの? 今も、ぼーっとスマホをいじってるだけなのに(怒)」

 こういう決断の先延ばし、私はよくやってしまいます。自分でも理不尽だと思うくらいだから、相手からしたらそりゃ困惑するでしょう。顧客にこれを続けられるのも困ってしまいますね。

 マーケティング関係者としては、なんとかうまく彼らの決断を後押ししたいところです。

 この連載では過去4回にわたって、脳科学の最近の話題、特に予測符号化と自由エネルギー原理について、理論的なお話をしてきました。今回は、その理論に基づいて冒頭の先延ばしの事例を考察し、理論から実践への橋渡しの端緒にしたいと思います。

 理論的背景を復習したい場合や、このシリーズを初めて読まれる場合は、過去の記事もぜひご参照ください。
   

先延ばしの事例を予測符号化で検討してみる


 冒頭の事例は、行動経済学においては、例えば次のような実験で紹介されます(脚注1)。

 大きな試験が終わった後の学生に、魅力的な海外旅行のチケットのオファーを提示して購入意向を尋ねてみます。すると、チケットを買うと回答した学生の割合は、試験に受かっていても落第していても差はありませんでした。

 しかし、別のグループの学生に、試験の結果が分かる前に同じ質問をした場合、多くの学生が「割増料金を払ってでも、購入の決断を先延ばしにしたい」と回答したというのです。

 前半の結果をみると、試験の結果が分かったとしても判断には影響しないはずなのです。なのに、結果が分かる前だと、なぜか先延ばしにしてしまう。不合理な意思決定の一例として興味深いですね。

 いわゆる現状維持バイアスの一種とも考えられますし、時間や不確実性に伴う価値の割引など経済学的な検討もいろいろあるでしょう。一方ここでは、この先延ばしの背後で脳内で何が起こっているのか、予測符号化理論に基づいて考察してみたいと思います。



 上の図は、以前の記事(#18)からの再掲です。この理論では、これから脳に入ってくるであろう情報が、予測信号として脳内に常に存在しています。この予測信号には、外界の情報のみならず、身体内部(内臓や免疫系など)に関するものも含まれています。チケットのオファーを提示された学生たちも、そのときに予測される身体内の状態が、脳内に再現されているはずです。

 一方で、予測ではなく実際の現実の情報も、身体内外それぞれ内受容感覚と外受容感覚を通して、感覚信号として常に脳に入ってきます。この感覚信号は、予測とは大なり小なり差異があります。この予測誤差を最小化することで、現実世界を知覚し、あるいは現実世界に働きかけているのでしたね。そのなかでも内受容感覚の予測誤差が感情の基盤として重要視されることを、特に強調してきました。

「チケットを買うかどうか」を検討しようとすると、試験前の学生は、試験のことがふと気にかかってしまうでしょう。すると、ここで内受容感覚の入力信号が大きく変化しそうです。これによって、予測信号との誤差が大きくなったときに、2通りの方法で誤差を小さくしようとする力が働きます。

 ひとつは、予測を更新して、内部モデルを現実の世界に近づけるというやり方です(知覚的推論)。普段は気づかないままですが、この時のように誤差が大きくなった時には、意識上で知覚されるかもしれません。この内受容感覚の場合、たとえば、それが「不安」などと表現されそうです。

 これに対してもうひとつの戦略は、積極的に行動して現実の感覚信号のほうを予測に近づけるというものでした(能動的推論)。ここで具体的に考えられることのひとつが、決断の先延ばしなのではないでしょうか。なぜなら、それによって葛藤を一時的にやり過ごすことで、内受容感覚の信号が予測された状態へ近づくと考えられるからです。

 もちろんこれは考察にすぎませんが、このように考えることで、消費者の意思決定を後押しする施策を考える一助になることも期待されます。そこのところを次に具体的に検討してみましょう。

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