リクルートでクリエイティブ・ディレクターとして広告を制作し、武蔵野美術大学では社会人の創造的思考育成プログラムの講師も務める萩原幸也氏が、創造的思考を駆使してビジネスシーンで活躍するプロフェッショナルと対談し、アイデアの源泉やマーケティングにつながる考え方を解き明かしていく「創造的思考の源泉とマーケティング」連載。
第5回は、お茶の水女子大学助教で「『頭がいい』とはどういうことかーー脳科学から考える」(ちくま新書)の著者でもある脳科学者の毛内拡氏が登場。前編では、毛内氏がグリア細胞の研究から見えてきた「脳の持久力」という概念について語った。後編では、アートとマーケティングの関係や現代人が抱える脳疲労の問題、そしてマーケティングの未来まで、より実践的な視点で対談が進んだ。
第5回は、お茶の水女子大学助教で「『頭がいい』とはどういうことかーー脳科学から考える」(ちくま新書)の著者でもある脳科学者の毛内拡氏が登場。前編では、毛内氏がグリア細胞の研究から見えてきた「脳の持久力」という概念について語った。後編では、アートとマーケティングの関係や現代人が抱える脳疲労の問題、そしてマーケティングの未来まで、より実践的な視点で対談が進んだ。
「知恵ブクロ記憶」を育むには失敗体験が重要
萩原 この連載は創造的思考がテーマなのですが、この思考を脳科学の観点から捉えると、どのように説明できるでしょうか?
毛内 難しいですね。私たちの脳は、見たものをそのまま認識しているわけではありません。そこには「フィルター」のようなものがあって、情報の90%ほどは無意識的に処理され、自分が注意を向けたものだけ知覚されます。
つまり、私たちは「現実」というよりは「自分の脳内世界」を見ている。クリエイティブなことをするときには、この脳内のモデルが重要です。著書「『頭がいい』とはどういうことかーー脳科学から考える」の中で、人それぞれが持っている生きていくためのコツのようなものを「知恵ブクロ記憶」と呼んでいますが、これが乏しいとクリエイティブな発想は出てきません。

毛内 拡氏
お茶の水女子大学 助教
1984年、北海道生まれ。2008年、東京薬科大学生命科学部卒業。2013年、東京工業大学(現東京科学大学)大学院総合理工学研究科博士課程修了。博士(理学)。日本学術振興会特別研究員、理化学研究所脳科学総合研究センター研究員を経て、2018年より現職。
お茶の水女子大学 助教
1984年、北海道生まれ。2008年、東京薬科大学生命科学部卒業。2013年、東京工業大学(現東京科学大学)大学院総合理工学研究科博士課程修了。博士(理学)。日本学術振興会特別研究員、理化学研究所脳科学総合研究センター研究員を経て、2018年より現職。
萩原 知恵ブクロ記憶はどうすると育つのでしょうか?
毛内 能動的に何かすること、特に「失敗すること」が大事です。逆に、受け身で情報を受け続けるのは良くありません。
脳は、過去の記憶や経験に基づいてつくられた脳内モデルから予測を行います。そして、実際に自分がした行動に対するフィードバックを受け取り、その脳内モデルを書き換えていく。予測とフィードバックの差が大きいほど、より脳は活性化してどんどん書き換わっていく仕組みになっています。
萩原 なるほど。創造的思考力を伸ばすには、脳の仕組みを踏まえたうえで日々の行動を見直すことが大切だと感じます。ここで、アートと脳科学の関係についてはどうお考えですか。
毛内 コミュニケーションの話でいうと、私たちが人を見て評価できるのは、最終的なアウトプットの部分だけなんですよね。 何を言ったとか、どういう表情をしたとか、どういう行動をしたかとか。ですが、そのアウトプットに至るまでには、たくさんのフィルターを通ってきているはず。例えばうれしくても表情に出さない人もいるでしょう。たとえば私の祖父は大正生まれで、 肩もみしてあげても無表情で「うん」とかしか言わなかったんです。 でも多分、心の中ではうれしかったと思うんですよね。
よく我々が「心の中」言っているのは「知恵ブクロ記憶」の部分ですが、フィルターがあるので、ダイレクトに可視化することは難しい。 アートは唯一、人の「知恵ブクロ記憶」をダイレクトに可視化できる方法なのではないかと思っています。
他者が世界をどう見ているかというのは、普段なかなかわかりませんが、アートを見て感動したり衝撃を受けたりするというのは、他者(作者)の心の中を見ているということなんじゃないかと思うんです。
萩原 抽象画などはまさに普段は触れることのできない心象をアウトプットしていると言えますからね。一方で、ビジネスシーンでは“具体的に言語化できない人は評価されづらい”風潮がありますよね。
毛内 言語化は言語化で大事だと思います。ふわっとした言葉しか出せないということは、つまり自分が持っている世界の解像度が低いということですから。心理学の研究で、多くの人は自分が今「憂鬱」なのか「不安」なのか、区別がつかないことが分かっています。憂鬱と不安は脳科学的には全く別の現象なのですが、その区別がつきづらい人はうつ病になる確率が高いと言われているのです。
私が「自分のことを知ろう」と言っているのは、そういう意味です。自分の脳の中で今起きていることに、きちんとラベルをつけて可視化する作業は重要だと思います。ただ、言語はコミュニケーションツールの一つにすぎません。自分の感覚や感情を「アート化する」というのも可視化の一つの方法かもしれませんね。
日本の伝統文化から企業が学べるもの
萩原 マーケティングへ応用できる脳科学的アプローチには、どのようなものがあるでしょうか?

萩原 幸也氏
リクルート マーケティング室 クリエイティブディレクター/部長
山梨県生まれ、武蔵野美術大学を卒業後、リクルート入社。リクルートグループのサービス、コーポレートのブランディング及び、マーケティングを担当。Xのフォロワー10万人。
公益社団法人 日本アドバタイザーズ協会 クリエイティブ委員
武蔵野美術大学 評議員
武蔵野美術大学 ソーシャルクリエイティブ研究所 客員研究員
武蔵野美術大学校友会 会長
県庁公認 山梨大使
リクルート マーケティング室 クリエイティブディレクター/部長
山梨県生まれ、武蔵野美術大学を卒業後、リクルート入社。リクルートグループのサービス、コーポレートのブランディング及び、マーケティングを担当。Xのフォロワー10万人。
公益社団法人 日本アドバタイザーズ協会 クリエイティブ委員
武蔵野美術大学 評議員
武蔵野美術大学 ソーシャルクリエイティブ研究所 客員研究員
武蔵野美術大学校友会 会長
県庁公認 山梨大使
毛内 これまで「ものを売る」ことは、いかにパソコンの性能を上げるかといったスペック訴求が中心で、いわゆる人の「外側」の世界を軸にしているケースが多かったと思います。しかし、これからの時代は人の「内側」、心や脳といったものにフォーカスしたビジネスやマーケティングをしていくべきだと考えています。
人の内側、心や脳といったものにフォーカスしたビジネスやマーケティングをしていくにあたって、重要になってくるのが「アート」です。これまでのビジネスは1を10にする発想が重要視されてきたのですが、今はほとんどの企業が0から1を生み出す発想を求めています。ここに、“アート思考”が必要とされるのではないでしょうか。
萩原 ここでおっしゃる“アート思考”は、どのような意味合いでしょうか?
毛内 私は日本の伝統文化や伝統芸能にも着目しています。華道は1000年続いていると言われています。また、能も700年ほど続いています。このような伝統文化の文脈を鑑みると、日本人のアート思考的なものの中に、「長続きする秘訣」があるのではないかと考えています。
知人に能楽師の安田登さんがいます。安田さんが言っていたのは、能がこれだけ続いてきたのは「天才に依存しないシステムをつくったからだ」と。誰が主役ということではなく、みんなが主役になり得るものなのです。
企業でいえば、唯一絶対の社長がいて、その下に部長が、さらにその下に課長がいるといったツリー型の組織構造ではない。どこかが機能停止しても、他のところがバックアップを取れるような、フラットな組織が大事なのではないかと思うのです。
萩原 とはいえ、トップダウンが強い企業も少なくありません。
毛内 そのほうが短期的には強いかもしれませんが、何千年と続けていくには向いていないでしょうね。今の時代、新しいものを生み出しても、すぐに消えていくものも少なくないです。でも、長続きさせたいと多くの企業が思っています。だから、ビジネスに日本の伝統文化にみられるアート思考が役に立つのではないでしょうか。
マーケターは、まずはスマホの通知を切り、脳疲労を軽減しよう
萩原 普段、私はテレビCMを制作していますが、毛内さんの著書には、テレビCM制作において私が意識していることが言語化されているなと思いました。「1秒間に3枚の絵が動くと映像に見える」とか、「人は動いているものにしか目がいかない」などです。
普段、後輩などに伝えているのは、脳は省エネだから、いきなり説明的なことを言い始めても、そもそも聞いてくれないし、理解もできないんだということです。ちょっと驚きを与えたり、感動させたり、みんなが知っている曲を流したりといった具合に、感情を動かさないといけないと説明をしているのですが、このあたりの解釈は合っていますか?
毛内 まさにその通りで、脳は非常に省エネな臓器です。情報の90%は非意識的に処理されるため、変化が激しくないものは注意に値しないと判断され、排除されてしまいます。だからいかに奇抜であるか、いかに前後の文脈と違うかなど、新奇性や意外性が大事なのです。
また、現代人は慢性的な脳疲労状態です。昔の人が一生をかけて得ていた情報を1週間で消費していると言われるほどで、とにかく情報過多。これにより、脳のエネルギー補給や老廃物の排出を担っているグリア細胞のアストロサイトがうまく働かず、炎症が起きてしまいます。
すると脳がうまく働かないので、破局的思考がぐるぐるするのを止められなくなり、脳がさらに省エネ化しようとして短絡的な思考に陥ったり、思考停止してしまったりします。
萩原 脳疲労を軽減するには、どのような方法が有効でしょうか?
毛内 情報を少しでも減らしたほうが良いです。私はいつも、二言目には「スマホの通知を切れ」と言っています。人間は一度集中力を失うと、回復するのに23分かかると言われています。でも、脳は新規性を求めているので、ピコンと通知音が鳴ったら見ないわけにいかない。
おそらくほとんどの人が日中は集中できていなくて、夜になってから本当に自分がやりたかったことをやっているのではないでしょうか。YouTubeを見たり、ゲームをしたり。それを最近では「リベンジ夜更かし」と言うそうです。それで結局、寝不足になるのです。これが頻繁にあっては、生産性は下がる一方ですし、経済的な損失も大きいですよね。
寝不足は脳にとっては認知症のリスクにもなります。研究によると、一日6時間睡眠を2週間続けた人と、2日連続で徹夜した「二徹」の人の脳のパフォーマンスは同じくらいだと言われています。私たちは常に二徹状態で働いているということです。
精神的自由は日本国憲法で保障されているのに、スマホの通知が来たら見ざるを得ない状況は、全然自由じゃない。もはや憲法違反だと思います。
萩原 強く言っていった方がいいですね。「通知を切れ」と。最後に、現代のマーケターへメッセージをお願いします。
毛内 まず脳疲労を軽減し、自分の精神的自由を取り戻しましょう。身体の健康だけでなく、心と脳が健康でないと、生き生きと働けません。スマホの通知を切り、能動的に学び、失敗を恐れずチャレンジする。そして、アート思考や創造的思考を大切にして、0から1を生み出す力を育てる。
そうして「脳の持久力」を鍛えることが、AI時代の創造性につながると考えています。脳科学を学んで自分の脳を知ることで、マーケターとしてだけでなく一人の人間としても、より豊かな人生を送ることができると思います。
