マーケターズロード山口有希子 #02

外資で鍛えた「実行力」異文化のなかでマーケターとして覚醒【パナソニック コネクト 山口有希子氏】

 

ベビーカーを押しながら、各地を奔走


―― お子さんが生まれたばかりのタイミングで、すぐにシスコシステムズに転職されたのですね。

 シスコシステムズから「大きな投資をするブランドキャンペーンが始まるから早く来てほしい」と言われたのです。私もそれならキャンペーンが始まる前に着任しておいた方がいいなと思いました。

 シスコでは、マーケティングコミュニケーション部長を務めました。BtoBマーケティングとして、ブランドや広報、Web、リードジェネレーションも含めて担当していましたね。シスコはマーケティングに長けたグローバル企業ですし、データドリブンなので、そうしたシステム面も含めて本当にたくさんの学びがありました。

 子どもが小さい時も普通に働きました。サポートの手配がどうしても難しい時は、子どもを連れて海外出張にも行きました。週末のブレーンストーミングのミーティングやイベントの打ち上げなどに、子どもをベビーカーに乗せて連れていきましたね。シスコはIT企業なので、リモートワークが当たり前だったことも大変助かりました。

 組織として顧客データベースがなかったので、Webサイトも含めて分散していたデータをまとめ、最終的に何十万という顧客の情報が入ったデータベースをつくりました。

 加えて、ブランドキャンペーンにも注力しました。Below the line(OOHやDMなどの販促施策)にも力を入れ、リード獲得後の営業とのフォローアップシステムも確立しました。

 こうした一連のプロセスを、各事業部のトップやコンサルタントと話をしながらつくっていきましたね。

―― 今振り返って、シスコでどのようなスキルを得たと思いますか。

 2002年頃に、顧客データベースに基づいたマーケティング、つまり「ABM(アカウントベースドマーケティング)」の萌芽に携われていたことがすごく学びになりました。また、シスコはグローバル企業なので、いろいろな国のヘッドクオーターの人と定期的に話をして、その中で新しいマーケティングに触れられたことも良かったですね。

 あとは何よりも、世界の人々の働き方や生き方は、とても自由だと感じました。多様な価値観や背景を持つ人々が活躍しており、それが自然に受け入れられていたのです。米国担当のマーケティングマネージャーはニュージーランドに家を構えており、旦那さんが専業主夫として、養子に迎えた子ども9人を育てていました。

 あるときは、同僚が突然「辞める」と言うので、次に何をやるのかと聞いたら「イタリアでワイナリーを買ったんだ」と話をしていました。

 また、ある女性は、過去に家庭の事情で一度会社を辞めて、少し休んでからスタンフォード大学で学び、また入社し直してCMOになりました。

 人の幸せとは何なのかを考えさせられますし、働くことや家庭、自分自身の生活も含めて、いろいろな選択があるなと感じた時代でした。

次回「CMOを志した瞬間──ヤフーからIBMへ、マーケティングを経営の力に」(6月24日公開予定)に続く
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