SNS・消費行動から見えてくるアラサー女子のココロ #22
「みんなと同じは、窮屈だ」2021年、多様性に向かう世界で意識したい3つのマインドセット
5年以上前から消えていた「画一性」と「マスメディア」
私たちはゆっくり、バラバラになっている。
そして私たちはバラバラであることについて、ずっと議論している。
年末に紅白歌合戦で星野源さんが「うちで踊ろう」を歌い、「様々な立場の人がいるから、“家(うち)”ではなく“(心の内でも部屋の内でもいい)うち”で踊ろうなんです」と語っていたことを思い出しながら、そう思った。
マーケティング領域でも、この「バラバラさ」については数年単位で語られてきたように思う。よく言われる「マスの消失」の話だ。
私の連載でも、2018年6月掲載の第1回目 の冒頭に書いている。ソーシャルメディアが流行し、インフルエンサーが台頭し、人々がレコメンドによってつくられた“偏った(カスタマイズされたと言うべきか)”タイムラインを見ている今、それぞれのコンテンツから見えている“世間”は千差万別だ。「みんなが思うカリスマ」「みんなが思う憧れ」「みんなが思う可愛い」「みんなが見ている面白い」なんて、なかなか現れることがないという話である。
ライフスタイルが多様化し、トレンドが多様化し、思想が多様化している。マスメディアもマストレンドも、もはや稀有である。そんな風に何年も語ってきたのだ。
そして去年、大きな世界のうねりとして、多様性の許容を求める動きが拡大した。ジェンダーや人種にまつわる差別に抗う運動が、世界的な注目を集めたのだ。ソーシャルメディアやテレビのニュース、新聞や雑誌のコラムなどで、一度は目にしただろう。
「多様性(あるいはダイバーシティ)」という言葉が日常に入り込んだのは、5年以上前だ。東京都知事選の際に、小池百合子氏が政策として目指す東京の姿に「ダイバーシティ」というキーワードを使って表現したのが、2016年である。
そしてやっと、この多様性が私たちの日常のそばにやってきているように感じる。身近になっているからこそ、壁にぶち当たっているのが今なのだ。
「みんなと一緒じゃなくていいんだ」「みんなと一緒じゃない私も認めてほしい」という様々な人の声を聞きながら、私たちは画一性のつらさに気づき始めた。
そして、”みんなと同じが大好き”な日本人である私たちも思い始めたのではないだろうか。「みんなと同じは、窮屈だ」と。