マーケティングは、どこまで人間を理解できるのか #19

マーケティングに大事なのは五感だけではない「内受容感覚」を知っておこう

 

感情を2つのステージで考える


 ただし、ここで言っている感情とは、「幸福」や「悲しみ」のような言語でラベル付けされるレベルのものではなく、その背後にある生物学的な「状態」だとご注意ください。日本語では明確に区別が難しいのですが、英語ではemotionではなく、affectがよく使われます。

 コンシューマー・ニューロサイエンスの知見や事例によれば、消費者の意思決定や行動は、論理的に考えて出てくるものではなく、このような根源的な感情の寄与が大きいと考えられています。私自身も、サイエンスと実務の両方から、このことを強く感じています。これについては、以前のコラムもご参照ください(脚注5)。

 また、内受容感覚の予測符号化からくる根源的な感情は、マーケターとして名高い刀の森岡毅さんが「本能」とおっしゃっているものとも関連が深いのではと、(ものすごく勝手ながら)考えています(刀・森岡毅氏が語る、どんな戦略でも使える“武器”とは)。生命維持の基盤として備わっている脳の機能原理なので…。

 では一方で、私たちが感情だと思っているもの、つまり「幸福」「怒り」「悲しみ」などは、どうやって出てくるのでしょうか。それは、内受容感覚にもとづく根源的な感情と文脈・状況から適当な概念を結びつける、いわば事後の解釈のようなものだと考えられます(脚注6)。



 先ほどの犬のマックスの場合、私の目に入った瞬間、なんとも言葉にできない感情状態(affect)が生じ、こちらを見上げる愛くるしい表情と手を差し伸べたときの反応などを総合して、今の自分の感情は「幸せ」だと解釈する。この幸せは、ある特定の脳活動や生理反応で規定されるものではなく、その時のaffectと状況・文脈から自分が解釈した、いわば感想のようなものだと言えます。それは経験・学習によって個々人それぞれが構築してきた「概念」であり、他方、今回ここまで述べてきた根源的感情のほうは、生物学的に生じる「自然物(natural kind)」として対比されます(文献6)。

 感情をこのように大きく2つのステージに分けてとらえることは、マーケティングにおいても重要だと考えます。単純に、根源的な自然物のほうは、購買意思決定やコンバージョンの後押しに必須でしょうし、他方、概念のほうはブランドロイヤルティの醸成や口コミなどに役割を果たしそうです(脚注7)。

 次回は、今回含めきれなかった外受容感覚と内受容感覚の関係などを、日常の例を交えながら補足します。それを踏まえて、先ほどの感情の2ステージについて、具体事例や戦略をもう少し検討し、徐々に実践のほうに近づけていきたいと計画しています。

 今回もややこしい話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 <脚注>
 
  1. 外受容感覚と内受容感覚の他に、「固有感覚」が同じレベルで併記されることも多い。固有感覚は、骨格筋から生じる感覚で、身体各部の運動、静止、位置、平衡を感知して運動の調節、体位の維持に寄与する感覚とされる。ただし、感情研究の文脈では、固有感覚も内受容感覚の一部として扱われることも多いため、ここでも簡略化のため、外受容と内受容の対比にとどめる。
  2. 提唱者の名前から「ジェームズ・ランゲ説」とも呼ばれる。心拍や呼吸、血管の収縮など不随意的な身体の変化を知覚することが,感情の経験につながるとする説。「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」というフレーズで知られる。
  3. マーケティングやブランディングにおけるソマティック・マーカー仮説の重要性については、文献2に詳しい説明がある。
  4. トップダウンとボトムアップの処理については、前々回のコラムで述べた。
    https://agenda-note.com/customer/detail/id=5447
  5. これまで繰り返し、「FEEL => ACT => THINK」のフローとして紹介してきた。
    https://agenda-note.com/customer/detail/id=3106
  6. 「感情の心理学的構成主義」の考え方であり、以下の過去コラムで説明した。
    https://agenda-note.com/customer/detail/id=3795
    さらに深掘りしたい読者は、文献6を参照されたい。
  7. このマーケティングにおける使いどころの対比は、以前に検討した「好き」と「欲しい」の違いの議論も参考になるだろう。
    https://agenda-note.com/customer/detail/id=3708

 <文献>
  1. アントニオ・R・ダマシオ(著)、田中三彦(訳)(2010)『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』、ちくま学芸文庫
  2. エリック・デュ・プレシス(著)、澤口俊之(訳)、東方雅美(訳)(2016)『ブランドと脳のパズル』、中央経済社
  3. Seth AK, Friston KJ (2016) Active interoceptive inference and the emotional brain. Phil. Trans. R. Soc. B 371: 20160007.
    http://dx.doi.org/10.1098/rstb.2016.0007
  4. Barrett LF, Simmons WK (2015) Interoceptive predictions in the brain. Nature Reviews Neuroscience, 16: 419 – 429.
  5. リサ・フェルドマン・バレット(著)、高橋洋(訳)(2021)『バレット博士の脳科学教室 7 ½章』、紀伊國屋書店 (特に第6章)
  6. リサ・フェルドマン・バレット(著)、高橋洋(訳)(2019)『情動はこうしてつくられる 脳の隠れたはたらきと構成主義的情動理論』、紀伊國屋書店
他の連載記事:
マーケティングは、どこまで人間を理解できるのか の記事一覧

マーケターに役立つ最新情報をお知らせ

メールメールマガジン登録