日本の広告最新事例を世界の潮流から読み解く #10

セイコーのポエムが広告賞を受賞!? ブランドはアーティストとして振る舞えるのか

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 私は長年、多くの広告コミュニケーションの海外事例を紹介し、その分析に努めています。この連載では、いつもとはある意味では逆に、まず日本の話題作に目を向けて解説し、そのうえで、その意図や施策の在り方が海外のどんな潮流と関連しているのかについて考えていこうと思います。実際、日本で話題になった事例の中には、海外のトレンドの延長線上にあるものが、少なからず存在しています。今回は、その第10回です。
 

日経広告賞最優秀賞「セイコーの新聞広告」


 長針も短針もない文字盤に、「時はあなたが刻む。」のキャッチフレーズ。さらに、「『あなたの時間』について考える日。6月10日は時の記念日100周年。」と続く。
 
セイコーホールディングス「時の記念日100周年記念広告特設サイト」
 
 今回、取り上げたいのは、そこに添えられた16行の文章。ボディコピーと呼ばれるこの文章の“分かりにくさ”だ。筆者の見るところ、これは明らかに、わざと分かりにくく書かれている。

 この文章は、こう始まる。

 「あの時。すべてが止まったけれども、時間だけは動き続けていました。午後7時の拍手や鐘。同じ時間を共有できたオンライン飲み会やビデオ通話。空間がどれだけ断絶しても、私たちは時間というかけがえのないものでつながっていました。」
 
セイコーホールディングス「時の記念日100周年記念広告特設サイト」

 広告コピーを“発信者の意図の解説”と考えると(従来は一般にそう考えられてきた)、この文章は常識を逸脱している。

 「あの時」っていつだ? 「止まったすべて」って何だ? 「午後7時」って、いったいいつの? 「拍手や鐘」って何のこと? 

 疑問だらけで読み手には、ある種のフラストレーションが溜まる。これは広告コピーとして成り立っていないのではないか、という意見があってもおかしくない(実際、ネット上にはそうした意見が複数存在した)。

 しかし、一種の「ポエム=詩」として見たら、どうだろうか? コロナ禍を強く意識した、“時”に関するポエムだと考えれば、“あの時”は特定されない方がいい。読み手が自己の体験から勝手に想像できた方がいい。

 「止まったもの」も個々の読み手に委ねられるべきだ。「午後7時の拍手や鐘」から欧州での医療従事者への賞賛を思い浮かべてもいいし、思い浮かべなくてもいい。

 いったん「ポエム=詩」として読んでみれば、筆者はこの文章が嫌いではない。そして送り手(セイコーと、実際に書いたコピーライター)も、明らかにそれを意識して、この文章を綴っていると思う。

 ブランドが、ある種の“アーティスト”を目指す時代なのだ。この例で言えば、ブランド側の意図を解説すべきではなく、分からないままに共感してくれる人がどれだけ存在するか?が勝負になる。

 それは、「広告が広告然としていると避けられる時代」だからだ。そういう意味では、広告がアートやカルチャー(エンターテインメント)の一部にならないと、メッセージを受け取ってもらえないと言えるかもしれない。

 コピーライターにとってもブランドにとっても、簡単ではない時代である。

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